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連載 かねさわ地名抄 第29回「君ヶ崎」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2014年5月29日

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かつての瀬戸内海と君ヶ崎
かつての瀬戸内海と君ヶ崎

 南北に延びる国道16号線、東西に延びる旧国道16号線と笹下釜利谷道路が交差する区内有数の交通の要所が「君ヶ崎」です。付近には君ヶ崎稲荷社があります。

 地名の由来は次の2点からきていると思われます。

 まず「崎」は「陸地が海や湖に突き出た先端」という意味があります。江戸時代まで平潟湾には現在の瀬戸橋から大きく北側に入り込む「瀬戸内海(せとのうちうみ)」がありました。ここに称名寺の裏山から現在の君ヶ崎交差点付近まで尾根が伸び、先端が内海に突き出ていました。

 次に「君」は「天皇」を意味しますが、鎌倉時代、この地にあった河岸(船着き場)に、第90代の亀山天皇が河岸に上陸し、近くの称名寺を訪れたとの言い伝えがあります。

 当時は元寇があり、朝廷は全国の寺社に蒙古調伏の法要を行わせていました。称名寺は真言密教の寺であったため、祈祷が熱心に行われました。天皇自ら訪れたというのは史実として根拠が薄いものの、勅使は遣わされていたと考えられます。

 この先端付近は現在も小高くなっていて、前記の稲荷社も以前はこの頂上にありました。幼少から金沢に憧憬を抱いていた日本画の大家、鏑木清方が、大正から昭和にかけてこの丘一帯に別荘を構えました。また、かつてここには「君が崎の一本松」という高い松の木があり、江戸名所図会の「金沢勝(しょうがいいちらんのず)槩一覧之図(しょうがいいちらんのず)」にも、歌川広重の「武陽金沢八勝夜景」にも描かれています。かなり大きな木で、旅人たちの目印になっていたものと思われます。
 

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