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連載 かねさわ地名抄 第30回「夏山」 文・NPO法人 横濱金澤シティガイド協会

公開:2014年6月12日

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夏山石仏群
夏山石仏群

 江戸時代後期、幕府が編集した『新編武蔵風土記』によると、夏山という地名は、久良岐郡之四金澤領の釜利谷郷の項に、わずかに次の記載があります―「北谷の内なり下同夏山」。

 『風土記稿』が著された1830(文政13)年の当時、すでに夏山と名付けられた山があったと考えられます。ただし、何故そのような名がついたか不明です。一説には付近に那智山の山号を持つ能満寺という寺(廃寺)があったことから、夏山(ナチヤマ)と名付けられたとも言われています。

 北谷のバス停から夏山のバス停の中間くらいの場所に夏山石仏群があります。北谷から夏山地区にかかる土地開発により、地境や道辻にあった石仏が、釜利谷東5丁目12番の地に集められました。ここには寒念仏塔4基、庚申塔1基と馬頭観音があります。

 また昔は塩嘗地蔵・暗闇地蔵など数体のお地蔵様もありました。暗闇地蔵は1955(昭和30)年代後半の夏山開発工事の際、移動しようとして怪我人が出たこともあり、供養の上、称名寺に移設されました。

 中世の頃、釜利谷は六浦庄釜利谷郷といい、古くは富田郷と称していました。江戸時代の元禄図には赤井・宿・坂本が載っていますが、現在は夏山も釜利谷の区画に入っています。

 釜利谷は金沢区のほぼ4分の1を占め最も広く、1965(昭和40)年からの開発ブームに乗って、農山村は新しい住宅地に変わりました。夏山も1967(昭和42)年に「日鋼夏山団地」として分譲のための造成工事に着手され、1977(昭和52)年に造成工事が完了しました。

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