金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第10回 徳川家康と金沢 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
金沢八景駅のホームから見えた茅葺きの家を覚えておられるだろうか。今は解体中だが、金沢八景西公園(仮称)の整備に伴い再築される予定になっている。
この建物は円通寺の客殿で、奥には徳川家康(東照大権現)を祀った東照宮があった。その裏山は権現山と呼ばれている。円通寺は東照宮を管理する寺(別当寺)だったが、一八七八年(明治十一年)に、神仏分離令により廃寺になり、同時に東照宮は瀬戸神社に合祀された。
一六〇〇年六月十六日、徳川家康は会津征伐のため、大阪を出発した。鎌倉から朝比奈峠を越え、七月一日に金沢で一泊している。「家康公は、その時ご覧になった権現山の山頂からの金沢の風景の美しさを絶賛された。駿府に隠退後も、金沢に寄られた時には、その眺望を楽しまれた。そのことを家康公から聞かれていた二代将軍秀忠は、家康公のために金沢に御殿を計画したが、一六一六年の家康公ご逝去のため、代官に命じて、御殿の代わりに東照宮を建立させた」と、代々、東照宮神官兼円通寺住職を務めてきた木村家の口伝で、東照宮建立の経緯を伝えている。
江戸城には、現存していないが、金沢の風景を描いた何枚もの襖絵があった。今、金沢区役所の一階には、野島を中心に描かれた襖絵の下絵をもとに復元されたものが展示されている。
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