金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第24回 金沢区 開発の歴史 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年5月に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
昭和23年(1948)5月15日に磯子区から独立して金沢区が誕生し、区政方針として「観光・文教・住宅地」が挙げられた。
30年代に入ると通勤の足として重要性を増してきた京浜急行沿線の富岡駅を中心に宅地開発が始まり、30年代後半には泥亀新田(蓮田)、平潟湾の埋立工事が着工。41年には八景団地、柳町、国道16号のバイパスが完成した。八景団地には、金沢区役所をはじめ公共施設やサニーマートなど商業施設が建設された。40年代後半に金沢地先の埋立、50年代に釜利谷の大開発が始まった。釜利谷の山林は、京浜急行が20年代末から買収を進め300ha以上を取得していた。横浜市が宅地化を認めたのは、その半分であったが、反対運動、オイルショックなどで工事が遅れ、50年代半ばになって完成し、能見台の街並みが誕生した。少し前に完成していた海岸部の並木住宅地の入居も始まって、金沢区の人口は飛躍的に増加した。
平成になり金沢シーサイドラインが開業し、金沢動物公園、八景島シーパラダイスがオープン、海の公園が完成し、新しい金沢の観光スポットとなっている。
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