金沢区制70周年記念連載 「地元の歴史 振り返る」第25回 金沢に伝わる昔ばなし 文/NPO法人横濱金澤シティガイド協会本コラムでは2018年5月に金沢区が区制70周年を迎えるにあたり、シティガイド協会の協力を得て、地元の歴史を振り返る
長い年月に語り継がれた昔ばなしも重要な歴史。連載最後は、金沢に伝わる昔ばなしから歴史を辿る。
「太寧寺のへそ薬師」は、親孝行で信仰の篤い娘を薬師如来が助けた話。源範頼の菩提寺と伝わるかつて瀬ケ崎にあった太寧寺の本尊がへそ薬師と呼ばれていたという。「へそ」は紡いだ糸を玉にしたもの。薬師如来は範頼の念じ仏であり、悲運の武将・範頼を悼む気持ちが伝わってくる。
「金沢猫」は、鎌倉時代に貴重な書物をネズミの被害から守るため、中国の船に乗せていた唐猫が六浦に住み着き、この地で出会った猫との間に生まれた子猫が金沢猫と呼ばれ珍重された話。かつて中国との交易が盛んであったこと、六浦がその中心地であり人々の中国文化への関心が高かったことがわかる。
「若犬丸二児の墓」は、南北朝時代(14世紀)に足利氏満に敗れた小山若犬丸(下野・今の栃木県で活躍した武将)の2人の子供が六浦の海に沈められた話で、六浦の海が処刑場でもあったことを教えてくれる。
「釣鐘のいぼ」は、幕末にペリーが来航したころのことで金沢の小柴沖に艦隊が停泊したため、アメリカの大砲に対抗して、鐘を大砲に見せようと龍華寺の釣鐘を山の上に運んだため、鐘のいぼ(乳)がすり減ってしまったという話で、近代の欧米文化にいきなり遭遇した人々が知恵を絞った様子がわかる。
このように昔ばなしには、郷土の歴史の断片がちりばめられ、文献などを結び付けていくと少しずつ確かなものが浮かんでくる。
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