横浜吉田中学校(金澤眞澄校長)で5月26日、中区内で横浜大空襲に遭遇した石原洋二さん(81)による体験講話が行われた。
これは、戦後70年の節目に平和を改めて考えるきっかけにと企画されたもの。同校生徒約400人と保護者らが参加した。
石原さんが空襲に遭ったのは間門小5年生、11歳の時。前年から箱根に疎開していたが、体調を崩して本牧の自宅に戻っていた。
そして1945年5月29日。その日は、両親と兄が仕事で留守にしていて、家には祖母と目の不自由な叔母、石原さんの3人だけだった。午前8時半ごろ、けたたましいサイレンが鳴り、3人は2畳ほどの広さの防空壕へ避難。「ウゥー」という飛行機の爆音、「ヒューン」という音、「ザー」と激しい雨がトタン屋根に打ち付ける音が続き、「防空壕の中は暗くて何も見えず不安だった」と振り返る。
音が止んで外を確認すると辺り一面が火の海に。熱風の中、祖母と叔母を引き連れてやっとの思いで三溪園に避難すると、近所の女性が焼夷弾の油を被り、「痛いよ、熱いよ」と叫び、配給を貰おうと小学校へ行けば焼け焦げた物体が50以上並んでいた。後に兄からそれらが焼死体だと聞かされて暗い気持ちになったという。
石原さんが最後に語った「戦争は究極のいじめだ」という言葉に、生徒らは静かに聞き入っていた。
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