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中区・西区・南区 コラム

公開日:2019.11.14

本牧 気まぐれ歴史散歩 29
震災復興で碁盤目状に整備された上野町・千代崎町

  • 震災復興 土地区画整理事業第12地区(緑色の部分) 石黒徹氏作成・所蔵

 碁盤目状に整備された町は日本全国にあります。そのほとんどは新しい宅地開発や近年の駅前再整備事業などで計画的に作られた町です。上野町・千代崎町も公共事業により再整備され、できた碁盤目状の町ですが、では何故ここが再整備されたのでしょうか?

 それは、関東大震災で罹災した横浜市域を土地区画整理事業により復興する13地域の1つとなったからです。この事業で当時1本だった山手トンネルも2本となり、本牧通りも現在のように拡幅され、上野町・千代崎町が碁盤目状の町並みに整備されました。

 明治期に麒麟麦酒が創業し横浜電気鉄道も本牧まで延伸すると、上野町・千代崎町あたりも急速に市街化していきました。大正12(1923)年、麒麟麦酒の従業員だけで約三千人となり人口が急増する中、商店・寄場・料亭も並び賑わっていたこの地域を関東大震災が襲いました。北陸通過中の台風による強風で火災が広がり、この地域の建物ほとんどが焼失しました。土地区画整理事業で道路を碁盤目状に整備・拡幅するため、土地の一部提供や移転をせねばならぬ人も発生しました。上野町・千代崎町でも人々は復興と土地の提供という葛藤に悩みながらも、町の復興・発展のためにとこの事業に協力しました。そうした先人の思いを感じながら、この碁盤目状の町の中をしばし歩きました。

 次回は本牧通りに戻ろうか新山下方面へ向かおうか、ちょっと思案中です。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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