南区版 掲載号:2018年7月12日号
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歌丸さん 地元愛した81年 真金町が生んだ大スター

文化

本紙の取材に応じる歌丸さん(2007年12月)
本紙の取材に応じる歌丸さん(2007年12月)

 真金町出身、在住の落語家・桂歌丸さんが7月2日、病気のため亡くなった。81歳だった。「笑点」で老若男女が知る大スターとなった後も生まれ育った真金町に住み続け、近所の横浜橋通商店街で買い物をするなど、常に地元を大事にし、多くの人に愛されていた。訃報を受け、同商店街には追悼の幕や献花台が設けられ、全国から歌丸さんをしのぶ人が訪れた。歌丸さんと関係があった人からは惜しむ声と同時に感謝の言葉が多く聞かれる。

南吉田小・吉田中卒

 歌丸さんは、南区が中区から分区する前の1936年に真金町で生まれた。家は遊郭で、ラジオの演芸放送に興味を持ち、南吉田小学校の4年生の時に噺家になる決意を固めていた。吉田中学校(現・横浜吉田中学校)3年生で五代目古今亭今輔さんに弟子入り。

 その後、寄席への出番の少なさから師匠の下を飛び出して落語から離れ、化粧品販売のサラリーマンを経験したこともある。

 66年に始まった「笑点」に初回から出演し、全国的な人気者となった。2004年には落語芸術協会の会長に就任。10年からは自らも設立に関わった横浜にぎわい座=中区=の館長を務め、落語、演芸の普及に尽力した。

商店街名誉顧問

 自宅付近の横浜橋通商店街との縁は深く、約20年前から商店街の「名誉顧問」を務め、歌丸さんのイラストが入った旗が飾られることもあった。

 商店街の元理事長で歌丸さんの家に出前を届けることが多かったそば店「安楽」の石塚安太郎さんは「本当に寂しい」と話した。石塚さんは歌丸さんからもらった笑点番組開始50周年の記念品を今でも封を開けずに保管しており、店にサインとともに飾っている。

 訃報が伝えられた翌日の3日には、商店街に「歌丸師匠、本当にありがとう」と書かれた幕が掲げられた。商店街の高橋一成理事長が訃報を受けてすぐに作ったもの。商店街中央には献花台が設けられ、高橋理事長は、訪れる人に花を手渡した。「商店街をとても大切にしてくれた」と話す。高橋理事長が経営する薬局では10年以上前から店内で寄席を開き、歌丸さんや弟子が出演している。

演芸場を救う

 商店街そばにある「三吉演芸場」では独演会や一門会を行っていた。1994年、経営難から演芸場が存亡の危機に立たされたが、歌丸さんが先頭に立って資金集めに奔走。今も横浜唯一の大衆演芸場として残り続けている。歌丸さんは本紙のインタビューで「ネタおろし(ネタを初めて披露する)はいつも三吉でやると決めている」と答え、目の肥えた客が多い地元の演芸場を大切にした。

ボーイスカウト支援

 歌丸さんは弘明寺を中心に活動する「ボーイスカウト横浜1団」の活動を応援していた。同団を支援する「はこぶね会」の会長だった元市会議員の故鈴木正之さんの依頼を受け、1974年から南公会堂で行われた「はこぶね寄席」に出演。2014年まで毎年、寄席に出続け、活動資金集めに協力した。同団の葛西映子さんは「楽屋ではスカウトの子どもたちにとても優しく接していただき、誰にでも気さくに話してくれた」と振り返る。

吉野町で怪談噺

 吉野町市民プラザは1989年のこけら落としで歌丸さんが落語を披露。近年では同所で怪談噺の長編「真景累ヶ淵」毎年一話ずつ演じていた。今年も8月に公演が予定されていたという。

 商店街の献花台には初日だけで約1200人が訪れた。南区が生んだ唯一無二の大スターはこれからも人々の思い出の中で生き続ける。
 

亡くなった翌日の3日には追悼の幕が掲げられた
亡くなった翌日の3日には追悼の幕が掲げられた
商店街内に設けられた献花台
商店街内に設けられた献花台

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