保土ケ谷区内でも花見台の県立保土ケ谷公園や川島町の水道記念館など「桜の名所」があるが、忘れてならないのがその名に「桜」を冠する「桜ヶ丘」ではないだろうか――。
それまで山林の中に畑地が連なっていたこの地が発展し始めたのは大正末期。当時の実業家・岡野欣之助氏が私財を投じて田園住宅地として開発を進めた。その第一着手として保土ヶ谷、神戸、下星川の三字に跨る一帯の耕地の整理を提唱。各地主からの賛同も得て整理組合が組織され、岡野氏が組合長に就いた。
桜のトンネル出現
大正8年8月に整備事業が始まり、岡野氏は10年4月、「丘に美観を添え、横浜市近郊の名勝地としよう」と、尾根道とそこへ上る坂道に桜の並木を作ることを発案。多数の賛助を得て計画は直ちに実行に移された。
各路線の両側に約9m間隔で「子どもの手首位の太さ」の桜の苗木を植樹。当時の値段で3500円を投じ植えられた苗木の総数は約1千本、このほかにも各戸に数本ずつ苗が配られ、庭内に植え付けてもらったと記録されている。
保土ケ谷区郷土史には昭和13年の時点で、一帯には776本の桜が確認されている。この頃になると、幹は太くなり枝も茂り、桜ヶ丘のいたる所に「桜のトンネル」が出現。シーズンには数万の人々が訪れる桜の一大名勝地となった。
尾根道の並木消える
桜ヶ丘の象徴ともいえる桜の木だが、岩崎中学校前から花見台交番前までの尾根道の並木が姿を消し、平成11年ごろから今後の整備についての話し合いが持たれるようになった。樹木診断の結果、この年に7本、18年に27本、そして最後まで残っていた4本も26年に伐採された。
「丘に美観を添え、横浜市近郊の名勝地にしよう」と先人の手で植えられた木々は残り僅かとなってきた。この春、当時に思いを馳せながら、桜ヶ丘を巡り歩いてみてはいかがだろう。
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