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地域に愛され、創業100年 株式会社マルハチ(鶴見中央)
京急鶴見駅そば鶴見銀座商店街内で、文具事務用品やOA機器などを取り扱う株式会社マルハチ=鶴見中央4の2の14(=八木幹雄代表取締役)が、今年で創業100周年を迎えた。地元で「文房具屋さん」として知られる同社の歴史と今後について取材した。
「紙店」から始まった商い
株式会社マルハチは1913年(大正2年)、現在の国道15号沿いの神奈川区仲木戸あたりに「丸八紙店」として創業。4代目となる現在の八木幹雄社長の曽祖父・正雄氏が、静岡県清水市より上京し開いたのが始まりという。
開業当初は、和紙や、今で言うトイレットペーパーのちり紙など、紙類を扱う店だった。「自分のところで売るだけでは厳しかったから、横浜や川崎までリヤカーで卸し販売もしていたようだ」。3代目の八木康夫会長は語る。
戦後、鶴見へ
1945年、横浜大空襲で店舗が全焼。戦時中は疎開した。47年、戦後まもないころ、鶴見で紙店を再開。現在、道を隔てた隣に建つ「エスプラン」の前身、覇王樹茶屋が卸し先だったこともあり、その伝手で鶴見での開業にいたったという。
当時小学5年生だったという八木会長は、「トタンで作った小さな店だった。父親は浅草などに仕入にも行っていた気がする。物のない時代。出せば飛ぶように売れていた」と振り返る。
その後、現在の本社ビルが建つ土地を購入。1950年に有限会社丸八紙店を設立した。59年から文具や事務用品の取り扱いも開始。64年に有限会社マルハチへ社名を変更した。5年後の69年、当時はこの界隈に一つしかなかったという7階建ての本社ビルを完成させた。現社名、「株式会社マルハチ」となったのは77年だった。
多様な支店も
同社初の支店は68年で、鶴見駅ビルへの出店が支店第一号。一時期、東京都調布市に出店していたこともあるが、いずれも現在は撤退している。
そして今も残るJR鶴見駅西口のミナール店は、開店からノート専門店、ファンシーグッズ専門店と変遷をたどってきた。八木会長は、「チャレンジしないと進化しない。万が一失敗しても一生懸命やればいい。そういう気持ちで取り組んでいた」と信念を語る。
◇ ◇ ◇
近隣では取扱いも少なかったコピー機などを販売した60年代。文具中心から、OA機器やオフィス家具なども展開するなど、時代を読み取り、商いに挑んできた同社。そんな「挑戦」がマルハチの100年を支えてきたのかもしれない。
鶴見とともに飛躍 さらなる次世代へ
「文房具のイメージが強いと思いますが、店の売り上げは全体の約1割ですよ」。八木幹雄社長は、そう説明する。
実は同社、収益のほとんどを文具などの通信販売「アスクル」事業、コピー機等のOA機器やスチール家具などを扱う外商部が上げているという。納品先は企業や官公庁などで、扱う商品は蛍光灯や工具、非常用品から融雪剤やトイレの洗浄剤など多岐にわたる。
八木社長は「ただの文房具屋でなく、必要とされるものを扱っている商社みたいなもの」と自社を評する。
◇ ◇ ◇
現在、従業員は26人(パート・アルバイト含む)。次世代に向かう同社をまとめる八木社長には、一つ思いがある。
「鶴見のまちが良くなれば当社も良くなるはず。これからも地域に貢献しながら、鶴見と一緒に歩んでいきたい」
社員一丸となり、新たな1世紀に挑む。
皆さまに感謝 会長・八木康夫
「100年のご愛顧、本当にありがとうございます。戦前、戦後と目まぐるしい時代をかけ抜けて来られたのは、必要としてくれる人たちがあったからこそだと思います。
今の時代は、決して右肩上がりの時代ではないかもしれませんが、今後とも株式会社マルハチをよろしくお願い申し上げます」
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