県鶴の卒業生たちに当時の活動の様子や、芸術展への思いを聞いた。
思い出の書道吟
「書道部の歓迎会は三ツ池公園だった」と語るのは、15期生の竹村毬子さん。卒業生とのつながりが強く、毎週のように部活へ顔を出しては指導をしてくれた。文化祭では大学で吟詠をやっていた卒業生とのコラボで書道吟を披露したことが印象に残る。「書道部は一時期なくなってしまったようだが、今は復活したと聞き本当に嬉しい。当時のようなつながりが生まれれば」と期待する。
縦のつながりを
美術部は、1947年頃に創部。16期生の鈴木正機さんが所属していた当時は、油絵がメイン。文化祭展示のため制作に力を注いだ。デッサンの練習目的に、八ヶ岳への合宿などもあり、鈴木さんは「キャンプファイヤーで盛り上がってね」と振り返る。卒業生がチョークを使った彫刻を教えてくれるなど、縦のつながりもあった。今回の芸術展については「卒業生と在校生の関係が深まるきっかけになれば」と話す。
経験がいまに
26期生の杉浦久仁子さんによると、華道部は美術準備室で外部から講師を招いて活動していた。杉浦さんは卒業後もその講師に習い続け、後に生け花の資格を取得。現在もフラワーアレンジメントなど、花に関わる仕事をしている。杉浦さんは「華道部での経験はいまにつながっている。今回の芸術展を期に、花に興味のある生徒さんたちと関われたら嬉しい」と意気込む。
生の作品を
48期生の飯田研紀さんが所属していた写真部。当時はモノクロフィルムの時代。写真の現像、引き伸ばしなどを行う暗室で作業が行われていたという。ラグビー部などと兼部している生徒も多い時代だったというが、全国高校総合文化祭写真部門で7年連続神奈川代表を輩出するなど、活動は活発だった。飯田さんは今回の芸術展について「ネットなどで簡単に作品を見られる時代だが、生でみるとまた違うはず」と意義を語った。
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つるぎん27日に4月25日 |
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