つつじ寺として知られる神木山等覚院(中島有淳住職)=神木本町=に祀られている不動明王像を、地域住民で持ちまわる風習が区内に残っている。古くは江戸時代から区内外を巡った記録が残るが、現在持ちまわる家は減少している。今年も4月から各地を回り、5月24日には馬絹へ到着。28日に同寺に戻り、札等を焚き上げる不動明王大護摩供が行われた。
「お宿」として受け入れている目代鉄男さん宅(馬絹)に24日、不動明王像が届けられた。目代さんによると、物心ついた時には受け入れをしており、到着すると「魔を滅する『豆』」などを供え参拝する。幼い頃には同寺で「疳(かん)の虫封じ祈祷」をしてもらっており、4人の子どもと3人の孫も同様で、身近なものだそう。柔和な顔の仏が多い中、不動明王は憤怒の表情で悪を退治する事から「子どもの頃は怖かったが、3代に渡り幸せ」と目代さん夫婦は孫を膝に乗せ手を合わせた=写真上。
「お不動さん」は4月に横浜を巡り、不動明王の縁日である28日に一旦寺に戻り、中原区、高津区を経由して宮前区へ、同様に28日に帰着した。
後世へ残す
近隣地域では「神木のお不動さん」として古くから親しまれている同寺。江戸からの参拝者らで賑わった記録も残る。「その参拝者らが縁起を担いで、お不動さんを地域で持ち回り巡らせたのかも」と思いを馳せるのは、同寺住職の妻・磯乃さん。「お宿」が綴られた勧進帳には、文久2(1862)年の古い記録や、遠くは宮益坂(現渋谷)などの地名も残るが、他の記録はほぼ無く、口伝やさまざまな書物を調べている。磯乃さんによると、約80年前は「お不動さん」を担いで回り、「お宿」に到着すると飴や酒、御馳走を振る舞い、子どもたちは大層楽しみにしていたという。今も振る舞う所もあるが、「お宿」は減少している。
「お不動さん」が帰着した28日、市内で「お宿」を引き受ける住民ら5家族が初めて一堂に会した。「お宿になることで地域の交流も生まれる。ご協力いただき、後世に伝えていけたら」との思いも語られた。
今年の護摩供は人数制限をしながら、正法興隆(しょうぼうこうりゅう)・四海静謐(しかいせいひつ)・国家安穏・五穀豊穣を祈願し、人々の思いと共に焚き上げられた。中島住職が「感謝の気持ちと共に歴史を刻み、前を向き顔を上げ、穏やかな毎日が続くよう」と説いて護摩供は幕を閉じた。
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