連載第十一回 宮前歴史探訪記 宮前区の30%は軍用地でした【3】 つけかえられた県道と東部62部隊
1914年に県道1号線になった大山街道。軍隊(通称=東部62部隊)が移転するために、宮崎の丘の西端に付け替えられました。62部隊入口近くの大塚交差点から今の馬絹交差点までのこの大きなカーブを、いまは長坂と呼んでいます。戦時中は、戦車もたまに走りました。溝ノ口から道幅を拡げ、水田を十数メートルかさ上げする工事は朝鮮人も働き、突貫工事だったそうです。この道路が56年国道246号線になりました。
被服廠(工場・倉庫)は、その県道沿いに7棟建設。高津高等女学校(現・高津高校)の生徒が軍服などの縫製のために勤労動員されました。戦後、日本の植民地等にいて帰国した引揚者(兵士を含め全国で700万人)の住居のない人たちは、この背の高い建物を上下2階に分けて住んだそうです。一部は現存しています。
また西半分は戦後、し尿処理場となり、現在は宮前生活環境事業所になっています。この事業所東側を通る細い道は、軍隊時代からの道です。東部62部隊の正門は、当初この道が県道と交わるところにあり、向ヶ丘遊園方面への訓練の往復にも利用されました。しかし、北の出口は縁起が悪いと、付け替え以前の県道側(東側)に移されました。/みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会・大泉雄彦
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