連載第十二回 宮前歴史探訪記 宮前区の30%は軍用地でした【4】 宮崎大塚(馬絹大塚供養塔)
宮崎大塚は、古墳時代につくられたと考えられている長さ25m、高さ5・5mの方墳で、西福寺古墳や馬絹古墳などとともに、梶ヶ谷古墳群の一つとされています。赤坂見附から始まる旧大山街道のなかで、東京から来るときの最高の標高(52m)地点です。
昔は晴れると品川沖まで見渡せ、戦時中にはここにサーチライトが設置されていたといいます。陸軍はここにも高射砲を設置する予定で、所有者のOさん宅など4軒は、1945年8月16日をもって立ち退きを命じられていましたが前日の8月15日に終戦となり、立ち退くことなく現在にいたります。
しかし、陸軍東部62部隊の六本木からの移転(42年)のため、すでに土地を奪われた宮崎の32軒の人たちは、ここの大字名(地名)は宮崎ですが、馬絹に強制収容・移転させられたことを忘れないように、昭和45(70)年9月馬絹有志で頂上に「馬絹大塚供養塔」を建てたようです。
/みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会・山本太三雄
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