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宮前区 コラム

公開日:2022.03.11

連載第十六回 宮前の歴史を学ぶ会
宮前歴史探訪記
宮前区の30%は軍用地でした【8】 重い歴史の扉を開けた13歳の生徒たち

 1994年夏、宮崎中学校1年生(現在40歳)の生徒たちが、学校に戦時中あったという陸軍のことを調べ始めました。退職教員のわずかな聞き書き以外の参考資料のない、ゼロからのスタート。全校アンケートを実施してわかった古老や元部隊員を尋ねて歩き、川崎市中学校連合文化祭と市内郷土史発表会での報告は大きな話題を呼びました。



 戦時中の陸軍東部62部隊の本部は、望楼付き2階建でした。47年の新制中学発足で宮崎中学校の校舎となり、毎年増加する生徒たちの学び舎として67年まで使用。跡地に体育館が建設されましたが、軍隊時代の前庭の一部が残り、桜の大樹と小さな灯籠があります。東日本大震災で倒壊したものの、地元の方々のご協力で以前のように再現されました。筆者も体験した、いくつもの怪談話が昔から伝えられています。



 旧将校集会所は、部隊本部南側の見晴らしのいい高台の端に建てられました。ここに戦後、宮崎中学校の職員室などが置かれ、一部は戦災孤児施設になったこともあります。現在の川崎市青少年の家になってからも、88年までその木造建物は使われました。/みやまえ・東部62部隊を語り継ぐ会・大泉雄彦

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