高津物語 連載第八五〇回 「郷土の歴史(I)」
高津物語の原点は、高津に関係する、あらゆる分野の高津区の歴史を、郷土史の観点から述べることにある、と思われる。
地元の歴史を地元に生きる人間が、とりわけ地元、溝口に生まれた旧家の人間が、その仕事をすることは、極めて意義のあることと、その当時の私は考えていた。
その矢先、一九九六年(平成八年)五月二三日に『タウンニュース』高津区版創刊号の発刊は、私にとって絶好のチャンスであり、喜び勇んで、私の高津物語は始まったと記憶している。
郷土の歴史を学びながら執筆する事が、その時は何とも楽しい事に思われた。
それから十八年間、一回の休みも無く『高津物語』は連載されて来た。
わたしは若くて、元気であったから出来たことだった、と今にして思う。
郷土の歴史―早い話が武蔵国である。村田文夫氏は『川崎・たちばなの歴史』(有燐新書)で「武蔵国の南端、即ち神奈川県と東京都の境界には、山梨県笠取山の山頂近くに源を発する多摩川が流れており、流末は東京湾に注いでいる」。
JR「南武線」の正式名称は「南武蔵線」の省略形。
武蔵溝ノ口駅の駅名は、兵庫県神埼郡香寺町の播但(播磨(はりま)と但馬)を結ぶ播但(ばんたん)線溝口(みぞのくち)駅が先行し、「武蔵」溝ノ口とした。
さらに鳥取県西部日野郡北部伯備線(はくび)伯耆溝口町(ほうきみぞぐち)が先行して現存した。
後発「溝口」駅は二者と区別して「武蔵溝ノ口」駅とした。
「武蔵新城」駅は愛知県南東部豊川中流域の工業都市「新城(しんしろ)市」があり、飯田線新城(しんしろ)駅が先行したため「武蔵」新城(しんじょう)駅となった。
「武蔵中原」も佐賀県北東部三養基(みやき)郡の農業の町「中原」があり、長崎本線中原駅(なかばるえき)が、先行して現存するため「武蔵」中原駅となった。
「武蔵小杉駅」も、富山県北部、射水(いみず)郡に小杉町があり、富山平野西部の町で、北陸本線小杉駅が同じく先行して存在するために「武蔵小杉」とした。
尚、南武線国有化閣議決定は、戦中の昭和十八年十二月、翌年運輸通信大臣は五島慶太に就任している。
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GO!GO!!フロンターレ3月22日 |
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