高津区版

コラムの記事一覧

  • 高津物語

    連載第一〇六九回「高津駅前の変貌」

    高津物語 文化

     数年前に病気をした自分が嘘のように、今の私は、極めて元気になった。あの病院で臥せっていたのは、何だったのかとつくづく考えるこの頃だ。昨日、散策の途中...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇六七回「多摩川散策」

    高津物語 文化

     病気を患って以来好きだった高津区内の文学散歩を再開したく思った。  だが、どうやら体調が回復したので、少しずつ体を鍛え...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇六六回「多摩川砂利採掘」

    高津物語 文化

     明治四〇年になると、玉川電気鉄道が渋谷―玉川間の電車を開通させ首都圏の電車輸送の足掛かりを造った。十月には、多摩川東京府各町村長地主総代ら三三名と神...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇六五回手描友禅、石渡弘信氏

    高津物語

     創立50周年を迎えた「NPO法人高津区文化協会」の副会長の一人である染色家の石渡弘信氏は、私の友人の一人だ。 同じ時期に「高津区文化協...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇六四回「紺屋」

    高津物語

     「高津の紺屋」を取り上げて、考察を進めてきた。 「紺屋」というのは、いわゆる「染め物屋」であるが、いつの頃からか「紺屋」を「クリーニン...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇六三回「溝口の染色業」

    高津物語

     溝口の染色業は上の紺屋―伊藤染色店と池田屋クリーニング店に代表されていた他に真っ先に触れた「千年の紺屋―清水染色店」があった。白井禄郎先生編集多摩図書館編『大...(続きを読む)

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    連載第一〇六二回「藤江染物店」

    高津物語

     藤江染物工場は、関東大震災で東京の工場が潰れ、東京から移ってきた。 更庄、更慶捺染物工場は昭和10年頃にできた。...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇六一回「紺屋のこと」

    高津物語

     「紺屋」の歴史は古い。高津区では、戦後に殆どの「紺屋」がクリーニング業に変わってしまったために「紺屋」と判らない現状にあるのだが、今夏「ミューラボ」(代表・江...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇六〇回「半天」

    高津物語

     大山街道溝口は古い。古くからある各店舗は、いろいろと工夫をこらして、店の宣伝に努めたが、全く忘れられた物に半天がある。半天は正式に半纏と書き羽織に似て襟の折返...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五九回「上の紺屋」

    高津物語

     八月の暑い盛り、私は染色の話をした。その時、大山街道「上の紺屋」の話をしなかった後悔が後を引き、申し訳なく思う。 上の紺屋は伊藤染色店...(続きを読む)

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    連第一〇五八回「大山街道溝口歩き」

    高津物語

     大山街道溝口は、古い街である。古くからある各店舗は、いろいろと工夫をこらして、店舗を造ったが、街道からの距離や街道との屋根の張り具合等、現代の建築基準に合致し...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五七回「二子新地の誕生」

    高津物語

     大正一四年七月に「二子橋」ができた。長さ四四〇米、脚橋二三基である。 玉川電車が二子橋を通って溝口まで来ると、東京側の岸辺には料亭が立...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五六回「真夏の夢」

    高津物語

     今年は殊の外に暑い。若かった私達は耐暑訓練と称して、「高津区民祭」を創始した。当時の私は世代の半ばで、暑さなど問題にしなかった。というよりは、問題にする程の暑...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五五回「猛暑に思う」

    高津物語

     「高津物語」のおかげで『ラジオ深夜便』に出演させていただき、続いて同名雑誌七月号に一文を書かせていただいた。 結果、全国から高津を懐か...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五四回「夏の思い出」

    高津物語

     いや、暑いです。本当に暑い夏ですね。もしかすると、私の八一年の人生の中で一番暑い夏かもしれないと思う位だ。 昔の夏で暑かった記憶が残っ...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五三回「賑わった大山街道溝口」

    高津物語

     一九一〇年代の溝口の変貌の中心をなしたのが、一九二五(大正一四)年の二子橋架橋だった。 その頃の大山街道溝口宿では蚕から繭をより分ける...(続きを読む)

  • 高津物語

    連第一〇五二回「1910年代の時代状況」

    高津物語

     明治四〇(一九〇七)年の多摩川大洪水ほど高津町に大きな衝撃を与えた洪水はなかったと言える。この洪水を契機として、多摩川沿岸の東京府各町村長地主総代再三三名と神...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇五一回「ラジオ深夜便に出演」

    高津物語

     タウンニュース『高津区版に連載を始めたのは、私が六十歳になる平成八年五月二三日、高津区版創刊と同時のことだった。 元来、書くことは嫌い...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇五〇回「高津物語」

    高津物語

     「二子」の地名は『川崎の地名』では二子塚の辺りに開けた記述があるが、本来は、川向うと当地と双子の様に仲良しの地だった。 大正十四年七月...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四八回「高津の転換期」

    高津物語

     高津町が大きく、日本史の転換期に登場してくるのは、皮肉にも、明治四三年(一九一〇)年であった。『高津物語』が、読者諸氏の熱烈な声援にも拘らず、明治末年から大正...(続きを読む)

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    連載第一〇四八回「高津の知った」

    高津物語

     大東京市と高津町との歴然とした格差を二子玉川と二子の料亭、料理屋の変遷で格差を見る。 川崎側の旅館といえば旅館兼料理屋の亀屋だけだった...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四八回「二子の懐古」

    高津物語

     多摩川の二子の渡しを渡ると、二子の亀屋があった。 元禄初(一六八八)年の開業といわれる。簡単に元禄初年などと言っているが、松尾芭蕉が「...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四七回「梶ヶ谷を歩く」

    高津物語

     高津のまちに生まれ育って、八二年目を迎えた油断があり、今現在の「まちの様子」を知らない、判らないことが多すぎることを知らされた。他でもない、まち歩きに参加して...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四六回「高津物語22年」

    高津物語

     一九九六年(平成八年)五月二三日高津区版創刊と同時に連載を開始して今年五月で満二十二年目を送々、連載は間もなく一〇五〇回を迎えることになる。...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四五回「連休に兄二人を想う」

    高津物語

     兄二人が死んで今はもう居なくなり、私一人が生き残ることになるとは、夢にも想像がつかなかった。 その頃のわが家は鈴木農園といって、温室が...(続きを読む)

  • 高津物語

    宮前区・高津区特別編

    高津物語

    「異色画家・青木繁」

     書架を整理する際に、雑誌『方寸』の帙(ちつ)(和本の損傷を防ぐため厚紙に布をはって書物全体を包む覆)の第十巻最後巻に『青木繁追悼号』が出てきて感嘆してしまった...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四三回「文化の殿堂オープン」

    高津物語

     大山街道溝口の高層ビル化に辟易していたところ、「nokutica」という「溝の口から始める」をテーマに「90年間朝から晩まで毎日、動き続ける溝の口に寄り添って...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四二回「石敢當の由来」

    高津物語

     川崎駅前の石敢當の記事を見て『石敢當の歴史起源と変遷』(徳島文理大紀要)と「県外の石敢當分布」(平成九年二月現在)全国五一ヶ所の石敢當所在地一覧をお送りいただ...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四一回「ラジオ深夜便の反響」

    高津物語

     先日の『ラジオ深夜便』の放送を聞いた城谷護さんからお手紙を頂いたのでご紹介したい。 「三月二二日の放送拝聴しました。本当にいいお話で感...(続きを読む)

  • 高津物語

    連載第一〇四〇回「ラジオ深夜便」

    高津物語

     今年一月二九日、一通の手紙が高津区文化協会の事務局に届いた。差出人はNHKのラジオ深夜便を担当するアナウンサーの川野一宇氏で、同番組の「歴史に親しむ」コーナー...(続きを読む)

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