高津区版 掲載号:2016年1月22日号 エリアトップへ

高津物語 連載第九二九回 「宇奈根」

掲載号:2016年1月22日号

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 「宇奈根住民の生活を守る為には、先ず治水が必要だ」との信念から早くから土木建築に携わった河崎家。

 多摩川の砂利採取の為二間幅(三・六m)の砂利船、メリケン粉袋を利用した帆船で、八トントラックの積載量を上回る大きさで、砂利採取が全面禁止された昭和三九年まで続いた(『宇奈根』世田谷区教育委員会・世田谷区民俗著往査団)と。

 「私が生まれた頃の明治四十年と四十三年に大洪水がありました。その頃は、今よりも多摩川が高かったので、ちょっとの雨でも洪水になります。向こうの津田山や向ヶ丘迄湖の様になったものです。その時は庭に高波が押し寄せるので船を柱に繋ぎ、鶏は木の上に飼い、蚕は中二階に何日も飼った程です。自分の屋敷を掘ってみると堤防の玉石があり、又斜めに蛇駕籠があります。それは、私の御爺さんがこの家を作る前は此処が河原であったという事になります」とは、明治四十三年生まれ、宇奈根・河原和さんの発言である。(昭和四九年刊『府中街道』多摩図書館)

 又同書は「昔、多摩川は津田山と向こうの山の間を流れていたと言はれています。多摩川の大洪水は、江戸時代の終わり頃と明治十一、十九年にもありました。こんな事で宇奈根は分村され河原姓五軒、河崎姓四軒が川崎の仲間入りをした」とも書かれている事から、多摩川の流路は、津田山を分断した濁流が、津田山の真ん中を堂々と流れていたという事になる。

 その流路は、現在のJR南武線の線路、及び南武沿線道路の幹線道路―鹿島田、菅線の道路であることがはっきりする。

 そして府中街道は「今の府中県道と大山街道の交差点は、昔三っ角でした。十字路になったのは今から約百年前の大正七・八年頃だそうです。府中街道を一部改修しながら出来た新しい道を川崎新道と呼びました。今の府中街道です。その後、道幅は三メートル程広げて、今のような道路が出来ました」(昭和五十年『私たちの町』高津小学校創立六十周年記念社会科副読本)

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