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高津区 コラム高津物語

公開日:2016.09.23

高津物語
連載第九六三回 「高津出身の戦没兵士・故郷に届いた一〇三通」

  • 子どもたちが集団疎開した石雲寺(伊勢原市)

 溝口の古書店で、奇妙なパンフレットを見つけた。



 「一兵士のビルマ便りを読む――小泉博美の一〇三通の軍事郵便研究」――専修大学文学部歴史学日本近代史専攻・新井勝紘ゼミナールのテキストである。



 手紙一〇三通は専修大学生田キャンパス記念館で、二〇〇五年七月に展示された由、当時の『神奈川新聞』が伝えている。



 昭和十七年に召集され、二十二歳でタイへ赴き、二年後にビルマ(現ミャンマー)で戦死する迄の二年間に、故郷の(高津区)久本で暮らす家族一同に送り続けられた全一〇三通である。



 「良くぞ纏(まとま)って残っていた」と思うと同時に、望郷の念がことさら強い小泉博美という人に人間的な親しみを感ずるのは、私一人ではない筈(はず)である。



 手紙の体裁や描き様は分からないが、『神奈川新聞』によると「軍事郵便は、はがきの余白を惜しむような、いずれも小さい文字で埋められている」という。



 書き手の小泉さんは、どちらかというと気の小さなふるさと思いの人だったのだろうと思うのは、「内地の音信に何度も胸を躍らせたことでしょう」と繰り返す言葉の中に故郷への切ない思いが託されていると思われる。



 余程この人は、故郷に強い思いを馳せ、望郷の思いに駆られていたかがわかる。



 新井教授は「郷里からの便りほど、うれしいものはないという気持ちに満ち溢れている」と解説しているという。



 例えば書簡番号4「葉書」(検閲者小野木、差出地―第二〇九野戦郵便局気付、南方派遣営五八六五部隊オ隊)では、受取人は「神奈川県川崎市溝之口六五〇番地『溝之口専売所御一同様』」となっている。旧溝口六五〇番地は、現在の溝口四丁目、二ヶ領用水「大石橋」畔大山街道巾宿。「溝之口専売所」は、前号の「米穀配給体制公布統制令に伴う小作米の政府米専売所―川崎市食料公団溝口専売所」の「橋場米店」を指している。

 

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