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さがみはら南区版 公開:2013年11月21日 エリアトップへ

大野小「創立100周年」 大正2年開校 21日に記念式典

公開:2013年11月21日

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平成25年6月5日、100周年を記念して校庭にて撮影=写真提供/株式会社フォトスタッフ
平成25年6月5日、100周年を記念して校庭にて撮影=写真提供/株式会社フォトスタッフ

 相模原市立大野小学校(南区古淵/山重ふみ子校長)が今年「創立100周年」を迎えた。時代と共に形を変えながら、多くの卒業生を輩出してきたその歴史を、順を追って紹介する。

創設は明治5年淵博学舎が前身

 開校は大正2年4月(1913年)だが、その歴史はさらに40年以上遡(さかのぼ)る。

 明治5年(1872年)初秋、淵野辺村竜像寺(りゅうぞうじ)本堂(中央区東淵野辺)に学齢児童が招集され、寺小屋を継いだ「淵博学舎(えんばくがくしゃ)」が開かれた。

 翌年春、学舎を同寺上観音堂に移し、「淵野辺学校」と改称。明治8年(1875年)4月、大沼、上矢部の2分校を置き、同12年(1879年)、淵野辺村皇武(こうぶ)神社地中(淵野辺本町)に本校を新築、2分校を廃止した。

 同19年(1886年)、同校に再び、上矢部、大沼の2分校が置かれた。そして同25年(1892年)、町村制により上矢部分校は廃校され、本校を「尋常大野小学校」(淵野辺村/現淵野辺小学校)とし、同32年(1899年)7月、大野区立「大野尋常小学校」と称するようになった。

 「明治22年(1889年)に5つの村(上鶴間、鵜野森、淵野辺、矢部、矢部新田)が集まって大野村が誕生しました。当時は村に2つの小学校がありました。同44年(1911年)頃から『大野村の真ん中に学校を』との声が多くなったそうです」(山重校長

「村の真ん中に」大野小の軌跡

そのはじまり

 大正2年(1913年)3月25日に、その2つの小学校、明進区立「尋常明進小学校」(上鶴間村/現南大野小学校)及び大野区立「尋常大野小学校」が廃校され、4月に「尋常高等大野小学校」が設置された。これが「現在の大野小のはじまり」とされる。100周年はこの年からカウントしている。

 尋常科(1~6年)は旧明進・大野小学校に、高等科(7、8年)は淵野辺谷戸、大日堂(古淵)を仮教場とした。「今で言う学区は大野村全域で、エリアは現在のJR横浜線矢部駅から小田急線東林間駅付近まででした」(山重校長)。

 大正3年(1914年)7月15日、大日堂から現在の地へ移転、木造平屋建ての校舎が建てられた。同4年(1915年)、校章を制定。同13年(1924年)、奉安殿を落成。天皇の写真や国民教育の基本理念を明示した教育勅語を奉安していた。

 太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)、八町村合併により、「相模原町」が誕生。神奈川県高座郡大野村国民学校と改称した。「集団疎開で横須賀から多くの友だちが来ました。勉強の他に竹槍をつかった軍事訓練もありました。児童は勉強時間に、工場や農家の手伝いをすることも。弁当は麦めし、さつまいもなど。遠足もありましたが弁当がなく、参加できない子もいました」

戦争と学校

 昭和17年(1942年)4月1日、大野第一国民学校と改称。5月には北分教場が独立し、大野第二国民学校と称し、翌年(1943年)には南分教場が独立し、大野第三国民学校と称した。

 そして、戦争が終わり、新しい教育が始まった。

 昭和22年(1947年)4月1日、本校(第一)を神奈川県高座郡相模原町立大野第一小学校と改称。高等科を廃止した。同23年(1948年)には、アメリカの指示により全国でPTA(アメリカ式父母と先生の会)が発足。大野第一小学校にもPTAができた。「戦争が終わってもあらゆるものが不足していて、みんな生きていくのが精一杯でした。子どもたちの栄養状態も悪く、回虫がいたり、ノミやシラミもたくさんいて困りました。教科書はわら半紙などに印刷されたもの。アメリカから脱脂粉乳が配られ、ミルクだけの給食が始まりました」

 同29年(1954年)11月20日、神奈川県相模原市立大野第一小学校と改称。同32年(1957年)9月1日、現在の名称である「神奈川県相模原市立大野小学校」と改まった。

 同37年(1962年)、校内に全国でも珍しかったという「ローラースケート場」が完成(のちに校舎増築のため解体)、同38年(1963年)にはプールが落成した。

 なお、この頃から校舎は徐々に木造から鉄筋コンクリートに。同39年(1964年)2月には給食室が落成し、給食がスタート。昭和47年(1972年)7月、鉄筋8教室、職員室、校長室、放送室、保健室などが次々完成した。なお、鉄筋コンクリートの校舎に変わったことも記念して、同49年(1974年)から7月15日が開校記念日となった。

そして100周年

 平成2年(1990年)12月、コンピューター教室の工事が完了。同11年(1999年)には図書室にインターネットが設置された。

 同21年(2009年)8月、防音対策による普通教室などの冷房設備が完成。同23年(2011年)9月、普通教室に校内緊急電話が設置された。

 今年に入り創立100周年を記念した事業として、講演会(2月)、記念テーマソング「みんな ひとつの」披露(6月)、創立記念日イベント(7月15日)が行われた。そして、11月21日(木)、相模女子大学グリーンホール(南区相模大野)で学習発表会を、小田急ホテルセンチュリー相模大野(同)で記念式典を挙行する。100周年記念事業実行委員長の細谷勝利さん=人物風土記で紹介=は「子どもがいて、先生がいて、地域があって。次の100年までみんなで協力してつないでいってほしい」と話していた。

【参考資料】創立100周年記念誌『軌跡100年』(相模原市立大野小学校創立100周年記念事業実行委員会)/地域・学習読本『わたしたちの大野』(同)

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【大野小学校卒の著名人】大出俊さん(俳優・昭和27年度卒)、田崎真也さん(ソムリエ・昭和45年度卒)、佐々木大輔さん(東京ガス野球部所属。高校日本代表選抜チームではダルビッシュ選手らとチームメイトに・平成11年度卒)

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大正3年(1914年)3月25日、第一回目の卒業式が大日堂で行われた

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