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さがみはら南区 社会

公開日:2025.07.24

「黒いゴマ」が降ってきた
相模原市南区在住 野口悦子さん

  • 当時の写真を手に話す野口さん

 「幼かったけれど、あの時のことはよく覚えている」。そう話すのは南区在住の野口悦子さん(86)。あの時とは1945年5月29日に起きた横浜大空襲だ。

 北海道に生まれ、5歳の時に横浜市に引っ越してきた。当時、横浜外国人墓地のそばに住んでいた。丘の上に建っていたため、3月10日の東京大空襲で、街が真っ赤に染まった様子がよく見えたという。

 父は仕事、兄は学童疎開で家に母と二人きりだった。「とても明るい空だったから辺りが良く見えて、『黒いゴマが降ってきたよ』と母に言ったら母が慌ててモンペを履きました」。その直後、何かが屋根を突き破り、母の足元に刺さった。「黒いゴマ」だと思ったのは焼夷弾だった。慌てて玄関から出ようとしたところ、火柱が立っていたため、父の部屋の窓から外へ出た。「早く逃げないと」と思ったことを強烈に覚えているという。予め掘っていた防空壕ではなく、家のそばにあった外国人墓地へ隠れた。母は荷物を取りに家に戻ってしまい、「行かないで」と叫んだ―。

 小一時間後、母は無事に戻ってきた。近所の燃えていない家家に集まり、みんなで豆を食べた。

 その後、母と兄の3人で北海道へ。青函連絡船で北へ向かっていたが、光が漏れないように夜は暗幕を下げていた。「自分たちの次の連絡船が沈んだと聞いたときは怖かったです」と振り返った。

「伝えないと」使命感

 横浜大空襲での恐怖体験を2人の娘や孫たちに話してきたが、「聞いた側がどんな風に受け取っているのか不安だった」という。しかし日々、ニュースを見る中で世界でなぜ戦争が起きるのかについて疑問を感じていた。「戦争は怖い。自分がした恐ろしい体験を娘や孫に味わって欲しくない。ここで自分がしっかり伝えていかないと戦争が怖いことをみんな忘れてしまう」と訴えかけた。

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