多摩 社会
公開日:2025.11.06
故郷 甲府を襲った「七夕空襲」
多摩市永山在住 平原国男さん
山に囲まれた盆地の地方都市・山梨県甲府市生まれの平原国男さん(90)が戦争の恐怖を体験したのは、1945年7月6日の深夜に発生した空襲だった。平原さんによると、「七夕空襲」と呼ばれ、死者数は1127人に及んだ。
恐怖の連続
約130機のB―29の爆撃が始まり、平原さんは家族と防空壕に逃げ込んだ。「ヒュー、ヒューと爆弾が落ちてきて怖かった。全部が頭の真上に落ちてくるような恐怖だった」と振り返る。爆弾が落ちる中、火を消そうとしている父と兄を置いて、母と姉と近くの川に逃げようとした平原さんは、逃げ惑った一群が寺の山門に集まり行き詰った状態になった。
平原さんは人混みをかき分けて前に出た時、誰かが「今行け!」と叫んだ声を聞くと、押し出されるように山門をくぐり抜けた。母と姉と火の粉を払っているうちに山門は崩れ落ちた。3人は墓場を抜けて川へ逃げのびて助かった。「門の反対側に残った人たちはどうなったのか。今も思い出すと胸が痛む。町内会の友だちも死んでしまった」と沈痛な面持ちに。
米軍が開発したグリス状の燃料を用いた油脂焼夷弾は石の上でも、砂の上でも燃え続けたという。河原に着いた平原さんは突如、強い力に押し倒された。その時は何が起きたのか分からなかったそうだが、親子爆弾の鉄のカバーがワンバウンドして当たった。「直撃していたら死んでいたでしょうね」と振り返る。
「大丈夫?」と叫びながら近づいてくる母の手を振り払い「大丈夫」と言いながら這いまわったという。「痛む体のどこにも触れられたくなかった。運良くワンバンドして背中に当たったので軽症でした」と九死に一生を得た。結果的には、父と兄も含め家族全員が助かった。
火の海に包まれたまちの空は紅く染まっていた。黒い雨も降ってきた。母が「くにお、この空を忘れるでないよ!」と口にした声が今も耳に残っているという。
次世代に
20年ほど前から多摩市の平和展や多摩平和まつり、地元甲府市、遠くは福島県など各地で戦争体験を伝えてきた。「終戦になった時はどう受けとめていいか分からなかった。戦争のことから逃げていたんです。しかし大人になってあらためて戦争について考えた」。体験記の最後には『戦争に正義なし=殺し合いの犯罪 戦争の作らない国にしよう』と記されている。「次の世代にしっかりつなげていきたい」
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