綾瀬版 掲載号:2018年6月8日号
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〈第43回〉渋谷氏ゆかりのコースを訪ねる43 あやせの歴史を訪ねて 綾瀬市史跡ガイドボランティアの会

 想えば高重、様々な情報が錯綜している鎌倉の政界に身を置き、優柔不断の己を責めながら、近江源氏を出自としている佐々木氏を思った。今、幕府において颯爽と存在感を示して、何かと高重の心の支えとなっていた。平治の乱(平治元年・1159年)で、源義朝に味方して敗れ奥羽に落ちて行く途上、佐々木秀義、長男定綱を含む4人の兄弟、郎党一行、高重の父・重国、追手のかかっている重要人物を庇った事、熟慮の上の乾坤一擲の決断だった事だろう。

 ここ渋谷荘で二十余年の星霜が流れ、兄・光重を含め5人の兄弟に恵まれた渋谷の兄弟達、佐々木兄弟達と切磋琢磨の日々があり、京洛の風聞を耳にしながら伊豆韮山への今は亡き頼朝の許への詣でがあった。今は既に頼朝、冥界へ旅立ち北条氏の専横が目に余っていたが、今は亡き父・秀義の遺訓を遵守。厳しい鎌倉の政界を毅然と対応し、渋谷氏に対しても変わらぬ配慮を示してくれていた。

 和田氏と北条氏との間には依然として険悪な空気が抛射(ほうしゃ)されていた。和田義盛、剛直な気性、詭弁を弄する事が苦手な人柄。高重いつも自分自身を見ている様だった。それにしても高重、今は経験豊かな老練の御家人として、領地領土の事、幕府の政界に不気味に流れている様々な情報等、特に北条氏と和田氏の動向に配慮していたのだが、まさに青天の霹靂だった。事も有ろうに信濃の御家人・泉親衡(いずみちかひら)、二代将軍・頼家の遺児・千寿丸を擁立。北条義時打倒を謀るも、これだけの謀計がいとも呆気なく発覚。時に建歴3年(1213年)2月の事だった。

 なんと杜撰な謀り事だったのだろう!?首謀者・泉親衡は逸早(いちはや)く姿を晦(くら)まし、謀計に加担した首謀者、御家人達、信濃・下総(しもうさ)を中心に300余氏に及び捕縛され、尋問された者達には、過酷な拷問が科せられた事だろう。高重、この事件に和田一門が連座した嫌疑を受け、和田義盛、一気に窮地に立った事を覚悟した。高重、今は兄・光重、一族の主立った者達に、事件の経緯を己の選択を説明し、光重、一族の者達に了承を求めた。秩父平氏として父祖達、ここ渋谷荘に進出。以来、苦節の日々があった事だろうが、今は豊かな領地を有する渋谷氏となっていたが…。今、渋谷一族に未曾有の危機が迫っていた。坂東の東国の武士達は争乱が、戦いが発生する度に、一族の滅亡・衰退を回避する為の工夫が巧みだった。高重、此の期に及び、父・重国の遺訓が去来するのだった。

【文・前田幸生】

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