神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
綾瀬版 公開:2019年1月11日 エリアトップへ

〈第49回〉渋谷氏ゆかりのコースを訪ねる49 あやせの歴史を訪ねて 綾瀬市史跡ガイドボランティアの会

公開:2019年1月11日

  • X
  • LINE
  • hatena

 渋谷光重、渋谷の荘の柱、惣領だった高重を失い、その存在の巨(おお)きかった事を想い、打合せ済みだったとは言え、暗然たる想いがあったが、残された領土を守り北条義時の言動を窺(うかが)いながら渋谷家、渋谷一族のため、捲土重来(けんどちょうらい)を期して奮闘せねばならなかった。北条義時、今は当面の政敵・和田氏、和田氏に心を寄せる一族、氏族を葬り去り、北条家、北条一族の北条家へ靡(なび)く一族・氏族等の地位や領地の配慮に余念がなかった。

 幸い義時、勝者の嗜みを心得ていてくれたか…!?渋谷家、渋谷一族、生計の途は目処が立ち、光重、前途の多難を忍従を受容していく事を、父・重国、弟・高重の霊へ誓った。今は渋谷一族を束ねる惣領・柱と仰がれる立場だった。懸命に光重を筆頭に、一族の主立った者達、今、保持出来ている領土を開拓・拡充し、領民の心を掌握し、力を蓄える事に専心していた。

 鎌倉の府への出仕は今、光重、当然、枢要の地位に就いているわけではなかったが、渋谷一族の弓箭(きゅうせん)の家柄を承知していた北条氏、幕閣、鎌倉の府の有識故実に基づく様々な行事には参列を要請してきた。想えば光重、一時期、弟・高重に惣領の座を譲っていたが、嘗て治承寿永の内乱の時、戦場を駆け巡り源平の栄枯を体感してきた隠れもなき武将だった。様々な行事、取り分け行進を伴う隊列にあっては、今は既に老境に身を置こうとしていたが、なを矍鑠(かくしゃく)として存在感を示し、北条義時、幕閣、有力御家人達、どの様な思いで見守った事だろう。

 時に健保2年(1214年)正月の頃、鎌倉は賑わっていた事だろう‼鎌倉に5年の星霜が流れていた。何事もなかった様に…!?鎌倉の府では、北条義時、義時に与する幕閣御家人の一部、深く静かに陰謀が醸成・進行していた。源実朝11歳の頃、2代将軍・兄頼家22歳の若さで北条時政等に岳父・比企能員、一族の政争の犠牲になり将軍の座を追われ、粛清された。

 実朝、3代将軍の座へ就かされ(建仁3年/1203年)、傀儡将軍として在位16年、征夷大将軍として、その専権を行使する事は出来なかったが、時の朝廷・後鳥羽上皇との絆が保たれ、実朝の官位は本人の希望があったにせよ、父・頼朝を凌ぐ位階だった。後鳥羽上皇、どの様な計略を胸中に、実朝に右大臣の官位を授けたのか!?

 想えば源氏、清和天皇(56代)を祖と仰ぎ、臣籍降下した皇子達の中、源経基を始祖とした子孫達の中で、源満仲の嫡流として、実朝まで連綿として継承されてきていた。そしてこの源氏の棟梁を代々守り通してきたのは、桓武天皇(50代)を祖と仰ぐ桓武平氏だった‼渋谷光重、その子孫の一族だった‼

【文・前田幸生】
 

綾瀬版のコラム最新6

あっとほーむデスク

  • 1月24日0:00更新

  • 12月13日0:00更新

  • 11月29日0:00更新

綾瀬版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2020年1月24日号

お問い合わせ

外部リンク