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三浦版 公開:2012年8月24日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第23回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2012年8月24日

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洲の御崎(みさき)社
洲の御崎(みさき)社

 城ケ島の東側に出ている所を「安房崎」と呼びます。県立城ケ島公園の第二展望台の下のピクニック広場の外側の階段を下って行くと岩礁の中に燈台が見えます。昭和三十七年に設置されたものです。現在の千葉県は、かつて、南から安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)と呼称されていました。その安房の国に面しているので「安房崎」と言われています。ここに「神楽(かぐら)高根」と言う所があって、昔、鎌倉将軍が洲崎明神へ奉納の神楽を奏した所と伝えています。「洲崎明神」と言われるお宮は『新編相模国風土記稿』によりますと「須能美佐木(すのみさき)」と記して、次のように書かれています。「海を隔て房州洲崎明神の社地と相対す、故に神号とす、藤原資盈が郎等の霊を祀りしと云ふ」とあり、社地の称のみで社はないと記していますが、現在、階段を下り、海辺へ出る直前、右側の草やぶの内に入って行くと、小さな社があります。入り口が不明なほど草に覆われていますが、社地そのものはひっそりとした聖域を思わせる所です。ただ、残念なことに鳥居が朽ちて傍らに置かれて、その役目を果たしていません。江戸時代の宝暦六年(一七五五)に書かれた『三崎志』に「海南家司四郎殿ヲ祭ル」とあり、海南神社の祭神藤原資盈公の家臣、太郎(向ヶ崎諏訪神社)、二郎(宮城の住吉神社)、三郎(城ケ島灘ヶ崎の揖の三郎山社)、そして、四郎の洲の御前神社の「四天王」が揃ったことになります。ここに紹介する洲の御前(みさき)社の祭神「四郎」殿は勇猛大剛で石を噛み砕き、鉄をひねり折るほどの勇ましい神であったので、「沙荒(すあら)御前」と称したが、仁和元年(八八五)の七月から八月にかけて、天が砂の雨を降らしたので、荒の字を除いて、「沙」を「洲」に改めた」と『三崎郷土史考』(内海延吉著)の中に記されています。現在の社殿は明治三十六年(一九〇三)に建てられたものと言われています。現在は通行止めになっていますが、かつては、県の水産試験場の方へ抜けることができたのですが、今では、落石の危険に加えて、岩礁の道も荒れているため通行できずに残念です。その道の途中に「水垂(みぞったれ)」という所があって、岩清水が滴り、松の根元に溜まる水の所がありました。鎌倉将軍の来島の際は茶の湯または硯の水に供したと言われる名水であったそうです。北原白秋も次のように詠っています。「水垂の岩の峡を垂(た)る水の瀟々として真昼なりけり」「水垂の松のかげゆくあはれなり麗らなる日のべら釣り小舟」「三崎城ケ島の水垂の岩に赤い鬼百合(ゆり)いつぬれた」崖の中腹より斜めに磯上に張り出した古松の名木があったのですが、惜しいこと枯れてしまい、伐採されて、その幹の一部が展示されて「愛を招く」とのことで白秋記念館にあることは第21回で紹介をしています。この水垂の道が通行可能になれば、赤羽崎を除いて島の外周を巡ることができると思えば残念です。つづく。
 

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