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三浦の咄(はなし)いろいろの記事一覧

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第46回「歌舞島のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     鎌倉時代、将軍頼朝を初(はじ)め代々の将軍が三崎の地を訪れています。『吾妻鏡(あづまかがみ)』(1180年〜1266年に至る鎌倉幕府の事績を記した史書)に...(続きを読む)

    9月6日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第45回「城村のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     江戸時代、約十年の歳月を費やして、天保十二(1841)年に完成された『新編相模風土記稿』(全六巻)の中に、「三崎町」(美佐木末智)の項があって、小名(小字...(続きを読む)

    8月23日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第44回「海南神社のこと【9】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     神社の鳥居を入るとすぐの左右に、小さな祠(ほこら)があります。右側が、「御霊(ごりょう)神社」で、左側が「疱瘡(ほうそう)神社」です。...(続きを読む)

    8月9日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第43回「海南神社のこと【8】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

    「神楽殿」のうち、鳥居に面した方の軒下に、「大国主(おおくにぬしのみこと)命」に関する絵画が三枚掲げられています。すべて、出雲(いづも)系の英雄神話です。...(続きを読む)

    7月26日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第42回「海南神社のこと【7】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「神楽殿」の絵画の三番目は、参道側に見られる「日本武尊」の絵です。  十二代の天皇「景行(けいこう)天皇」の御子息「倭建命(...(続きを読む)

    7月12日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第42回「海南神社のこと【6】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「海南神社」の境内にある「神楽殿」の軒下周囲に、日本神話が絵に描かれている旨は前号で記しましたが、それを今回紹介して参ります。...(続きを読む)

    6月28日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第41回「海南神社のこと【5】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「海南神社」が他に見られる姿と言えば、参道の左側に、食材を抱えた大きな肖像画が描かれていることです。「食の神」と言われる「磐鹿六雁命」の姿です。本殿...(続きを読む)

    6月14日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第40回「海南神社のこと【4】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     前回に記しました、木村伝右門奉納の石灯籠の隣に、延宝三(1675)年、寄進の石灯籠があります。当時、三崎奉行を勤めていた山(やま)角(かど)藤兵衛尉(じょ...(続きを読む)

    5月31日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第39回「海南神社のこと【3】」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「海南神社は天元五(982)年に、補陀山海潮寺のあった楫谷山(現在の神社の位置)に建てられたと縁起書にあり、これが従来の定説で、資盈死後百十六年後のことで...(続きを読む)

    5月17日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第38回「海南神社境内のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「海南神社」の石の鳥居は、江戸時代の明和九(1772)年に建てられたものです。ただ、この年に江戸で大火があって多くの人が亡くなって、「めいわく」だと言うことで...(続きを読む)

    4月19日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第37回「海南神社のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     はじめに、前回の後半に「海南神社」とすべきところを、「南海神社」と記したことは、まちがいです。「海南神社」と訂正して、お詫び申し上げます。...(続きを読む)

    4月5日号

  • 三浦の咄いろいろ

    連載 第36回「三崎誌」を読む その2

    三浦の咄いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     前回に示した『三崎誌』の中に「ひらめ町 離れ嶋 磯崎町 花暮町」と書かれ、その註として、「昔城か島花盛の頃、日の暮るを忘れたり」と記されています。現...(続きを読む)

    3月22日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第35回「『三崎誌』を読む」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     江戸時代の宝暦六(1756)年に刊行された『三崎誌』の中に次のような文が書かれています。「むかしを尋て今にしらする人は昔不朽(ふきゅう)(昔のことは...(続きを読む)

    3月8日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第34回「新井城址のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     明治二十七(1894)年一月から、村井弦斎の小説『桜の御所』が都(みやこ)新聞に連載され、さらに同じ年の十二月に単行本として出版され、六版を重ねる程...(続きを読む)

    2月22日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第33回「油壷と『黒い福音』のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     松本清張著の小説『黒い福音』は、昭和三十四年に起こった「スチュワーデス殺人事件」にもとづいて書かれたものです。  事件...(続きを読む)

    2月8日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第32回「狐塚のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     『三浦の伝説と民話』(三浦市観光協会発行)の中に、「きつね浜ときつね塚」の話が載っています。それによりますと「浜諸磯の丘の麓の狭い砂浜を、通称きつね...(続きを読む)

    1月25日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第31回「白秋碑のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     城ヶ島が多くの人に知られるようになったのは「城ヶ島の雨」という歌が大正八(1919)年に歌手の奥田良三氏が吹き込んだレコードが大いに売れ、有名になっ...(続きを読む)

    1月11日号

  • 三浦の咄いろいろ

    三浦の咄いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド協会 田中健介

    地域の歴史や文化、街並みを描いた文学作品などから、知られざる三浦の横顔に迫る連載コーナー「三浦の咄いろいろ」。今回は、正月特別編として、正月に関...(続きを読む)

    1月1日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第30回「城ヶ島のこと その6」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     三浦市内に住む方々の姓氏が地域によって特色がみられます。  城ヶ島について、『城ヶ嶋村沿革畧誌』(加藤泰次郎氏編纂)の...(続きを読む)

    12月14日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第29回「城ヶ島のこと その5」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     近代に入った、明治三十二(1899)年、東京湾防備の重要性から、三浦半島は全域が要塞地帯に指定されました。いわゆる「要塞地帯法」が公付され、「許可ナ...(続きを読む)

    11月30日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第28回「城ヶ島のこと その4」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     江戸時代に入ると日本の沿岸に外国船が近づくようになりました。  『城ヶ嶋村沿革畧誌』によりますと、「烽火(のろし) 安...(続きを読む)

    11月16日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第27回「城ヶ島のこと その3」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「それで梨香は、急に自分が、ツーリスト・ビューローの女であることを思い出し、安里に城ヶ島の説明をしてやる気になった。...(続きを読む)

    11月2日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第26回「城ヶ島のこと その2」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     『新編相模風土記稿』に「城ヶ島村」のことを、「三崎町の南方海上四町余(約四百三十五メートル余)にある孤島なり」として、昔、此の地に城郭があって残され...(続きを読む)

    10月19日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第25回「城ヶ島のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     明治二十(1887)年に記るされた『城ヶ島村沿革畧誌』(加藤泰次郎編纂)が「三浦市民俗シリーズ」として、市の教育委員会から発行されています。その中に...(続きを読む)

    10月5日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第24回「八景原のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「宮川」の地に「八景原」という「小名」(小字(こあざ))があります。江戸時代の文化九(1812)年に書かれた、紀行文集『三浦古尋録』に「此処(ここ)...(続きを読む)

    9月21日号

  • 三浦の咄(はなし)いろいろ

    連載 第23回「岩堂山のこと」

    三浦の咄(はなし)いろいろ

    みうら観光ボランティアガイド 田中健介

     「岩堂山」について近くに住む人々は「いわどやま」と呼んで親しんできたと言われています。この山は三浦半島南端では最も高い山で海抜八九・九メートルの山で...(続きを読む)

    9月7日号

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