三浦の散歩道 〈第48回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
石造りの鳥居を抜けて、社殿への参道は幅がやや狭いのですが、左脇は大谷石できれいに造られています。この石塀は昭和58年12月に造られた新しいもので、寄付者岩野伝司・田村七郎、深瀬ミツの氏名が刻された石板がありました。社殿に入る手前の左右に狛犬があり、台座を合わせると150センチ程の像です。右は「ア」像、左が「ウン」像になります。「昭和六年十二月吉日、当所田村久八」の銘があります。その先は開けた広い所になります。一帯がコンクリート舗装になっています。その左側、西寄りに「八王子神社」の社殿が東南を向いて建っています。間口は約4・5メートル、奥行3・5メートル程の建物で、屋根は瓦葺き、入母屋造りになっています。社殿そのものは、新しく建て直したように見えます。正面は両引き戸になっていて、鈴が3個ついた網が下がっています。右横の裏手に石造りの祠が2基あります。右側は擬灰岩製のためか、風化が進んで、形がはっきりしません。左側はしっかりとしていて笠付きの安山岩製の祠です。浜田勘太氏の本によれば「三峯様」を祀ってあると言うのです。
この「八王子神社」は、祭神は「厩子皇子(うまやこのみこ)」と言い、その創立や由緒は不明のようですが、文和3年(1354)3月15日、清伝寺の住職桃源和尚が創健した、と「古社調査事項取調書」という、明治28年の調査資料にあると、浜田勘太著「南下浦の歴史探訪記」に記されています。さらに、同書には、白山神社の菊池先生の話として、祭神は、天神7代の神様「国狭槌尊(くにさずちのみこと)」としています。
「八王子神社」は天照大神の御子5男3女、すなわち八王子のことで、そのうち、太郎の王子を国狭槌尊であるとのことです。先きに記した「厩子皇子」は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の使いの者で、農村の神といい、別に山の神でもあるとのことです。
この社の裏手の道筋に4基の庚申塔があります。3基は笠付、一つは駒型の塔で、昭和2年の銘があります。真中の塔は元文年間(1736〜40)に建てられたようです。
お宮に参拝をして、次に「雨崎神社」へ参ろうと歩みを進めましたが、よくわかりません。山の頂きにあると聞いていますが、道がわかりません。とにかく探してみようと、市の東部浄化センターの裏手へと回ってみました。字「勝谷(かつや)」というところでしょうか、谷戸が大きく、畑が広々と広がっています。やすらかな想いをさせる景観です。仕事をしている農家の方に神社のことを訪ねてみました。すると、今は草が大きく覆っていて、道をふさいでいるから素人には無理だよと言われました。
畑の近くに土手に彼岸花がきれいに咲いていました。
つづく
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