定年最後の1年を東日本大震災の被災地復興に捧げて完全燃焼―。
三浦市職員として宮城県南三陸町に派遣されていた大澤靖さんが、計2年間の出向を終え、先月末定年を迎えた。「自分に出来ることはやれたと思う」。充実した表情で振り返った。
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大澤さんが初めて南三陸町に派遣されたのは、震災から1年が経過した2012年4月。現地では応急仮設住宅への入居申込みが始まるなど、生活基盤の整備に向けてようやく動き始めた頃だった。
もとは道路や河川などの設計に携わる技術畑の出身。「自分の土木技術が復興に役立つならば」と派遣を申し出た。
「思わず叫んでしまった」。初めて被災地の土を踏んだ時の強い衝撃は今も忘れられない。津波によって跡形もなく流された街、至る所に積まれた瓦礫の山。新聞やテレビで様子は見聞きしていたが、目の前に広がる現実と自然の脅威に恐怖を覚えた。重要なインフラ整備である災害復旧工事という職務を全うするには、どこから手をつければいいのか。戸惑いと使命感がせめぎ合ったが、明日を見据え歩み始める町民らの姿に奮起。1日でも1年でも早く元通りの生活を取り戻してあげたいとの思いが背中を押した。
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見ず知らずの土地での作業には地元とのコミュニケーションも必要だった。「三浦市から来ました」。そうあいさつするたび「三崎港のある街」とこぞって歓迎を受けた。同町と三崎はマグロの水揚げが縁で昔から深い繋がりがあり、船員として三崎漁港を訪れたことがある住民も少なくない。先人が結んだ絆によってすぐに打ち解け、地元の海の幸を肴に酒を酌み交わしたこともいい思い出だ。
職員生活の最後の年となった2016年、自らの集大成として2度目の派遣を志願し、再び南三陸へ。街の様子は一変し、あちらこちらでかさ上げ工事が行われ、商店街や漁業も復活。人々の営みに少しずつにぎわいが戻るなか、今回は19ある町営漁港の防潮堤の設計を担当。 工事は来年度にも着工の見込みだ。「周りからは『もう1年どう?』と声を掛けてもらったけれど」と笑ってみせ、「今後も足を運んで、復興を見届けたい。次は家族にも見せてあげられたら」
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先月、震災から丸6年を迎えた。三浦市内では義援シャツの販売や朝市でのチャリティー活動、農協による野菜の無償提供などの支援が継続して行われているが、被災地の中と外を知る立場として記憶の風化は肌で感じている。街の再建はまだ道半ば。「水産物の購入や観光でもいい。出来る範囲で応援を」と呼び掛ける。津波被害は三方を海に囲まれた三浦にとって決して他人事ではない。「防災意識を高めるためにも3・11の教訓を忘れず、伝えていかねばなりません」
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