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三浦 文化

公開日:2023.07.21

タウンレポート
神輿越しに見た熱き下町
三崎・海南神社で夏例大祭

 「担がせてあげるよ」。昨年5月に創立150周年を迎えた三崎小学校の開校祭で、児童らが3基の神輿を担いで校庭をぐるぐると練り歩く様子をじっと見ていた記者に、木遣り師の皆さんが声を掛けてくれた。年が明け、コロナ禍で中止が続いていた「海南神社夏例大祭」が7月15日・16日、4年ぶりに挙行されることになった。下町の7地区が持ち回りで務める年番は「獅子」を入船、「神輿」を花暮、「つけ神輿」を宮城が担当。大変恐縮ながら記者は花暮の一員として参加できることになった。ただ、初日の夜間練習を取材した際、あまりの迫力に圧倒され、不安が募った。最近持った一番重いものといえば、その時手にしていたカメラくらいだったからだ。ずっと取材したかった三崎の祭り。実体験などを通して一挙に紹介したい。

 まずは祭り前日の「宵宮」。西海上の人々が神輿を担いで町内を渡御し、夏のムードを演出した。子どもらが豪快に神輿をさす表情は真剣そのもの【1】。先人たちのDNAが受け継がれていた。

 翌15日午前9時30分、花暮の集合場所である本宮では、小気味良い囃子の音が響いていた。出発前、2人の総頭からあいさつがあった。「まるいち食堂」店主の松本英さんは「40年以上やってきた祭り。憧れだった立場になれて光栄」と涙ながらに叫び、「咲乃家」店主の角山肇さんは「祭りはバカになってなんぼ。みんなでいい汗流そう。エイエイオー×3」と全員に気合を注入した。山車を引いて三崎港ロータリーに向かい、入船と宮城の役員らと顔を合わせる「出会い」があり、木遣りに受け声を返しながら神社の境内に入った。

 興味深かったのは、面をつけた3人。天狗(猿田彦)が剣祓いなどを披露し【2】、神社の「社宝」という雨の面(黒鬼)と風の面(赤鬼)が、四隅に悪魔退散の弓を放った。矢を授かった人は開運招福・息災延命になるという。昭和40年代まで原地区の住民が面を被って神輿を先導していたが、高齢化に伴って引き太鼓の上に面を乗せて歩いた時期もあった。2000年を過ぎた頃に復活。渡御の前に天狗の舞をするようになり、現在は行道面保存会が面の保存と舞を継承している。

 いよいよ担ぎ上げ。雄雌2頭の獅子から出発した【3】。パカパカと口を動かす大きな頭それぞれに10mほどの布(胴部)がつき、それを30〜40人がバサバサと上下、体をドシドシと左右にぶつけ合い、沿道の店舗や住宅にの中に入った。胴体の毛は手首や足首に巻くと、悪霊を払うとされ、みんな欲しがっていた。

 記者が神輿を担いだのは最終日の16日だった。昼に商議所前の仮宮に着くと、三浦市と姉妹都市の豪州ウォーナンブール市からきた小学校の英語講師の方が「痛いよ」と肩をさすりながら、おにぎりを頬張っていた。前日は午後9時30分頃まで担いだというから無理はない。記者も木遣りに合わせていざ神輿を持ち上げると、想像を超えた重さだった。屈強な他の担ぎ手と交代しつつ「おいさ おいさ」と家内安全や商売繁盛を祈願して高々と神輿をさして回った。

 クライマックスを迎えた宮入りでは、祭りの終わりを惜しみながらも声を枯らし、したたれ(装束)に汗を滲ませ、力を振り絞る姿に【4】、境内を埋め尽くした人々が心を震わせた。奉還は午前1時1分のことだった。

 「おつかれさま」。帰り際、祭りに誘ってくれた木遣り師の一人が笑顔で言った。懐の深さと度量の広さによって、よそ者の記者を温かく受け入れてくれた下町に感謝の念が込み上げた。

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