亀岡八幡宮 歴史と人びと〈第5回〉 神輿の歴史について
亀岡(かめがおか)八幡宮は2019年4月、社殿の改築から100周年を迎えます。このコラムでは、氏子会の皆さんのご協力のもと、その歴史や関わる人々を紹介します。
例大祭を盛り上げる勇壮な神輿。その歴史をついて亀岡八幡宮神輿会の太田廣会長(66)=写真=に話を聞いた。
社殿の改築から2年後、大正10年頃の祭礼の様子を写したモノクロ写真には、神輿とともに白い衣装で揃えた子どもたちの姿が収められている。昭和12年には神輿2基と山車1台が奉納された。これが現在のもので、唐破風・本漆塗りの江戸神輿だ。戦後すぐに例大祭は復活。日本人の祭り好きな性格がうかがえる。
昭和30年代に入ると、街は海水浴客で賑わうように。当然、祭りも盛り上がったが、外から来た若い衆が暴れ揉め事も頻発した。結局、神輿は「封印」され、18年間担がれることはなかった。
太田さんは東京都葛飾区出身。東京の下町らしく祭りは生活の一部だった。結婚を機に23歳で逗子へ。その翌年の昭和51年、18年ぶりに神輿が復活すると聞き、すぐに参加したという。
85年、逗子神輿会の4代目会長に就任。96年に会の名称は「亀岡八幡宮神輿会」と変わった。「楽しむだけの神輿から、神事としての意識が芽生えた」と振り返る太田さん。「お宮の子ども」として各商店街の協力を得て、八幡様の祭礼を盛り上げる体制が整った時だった。
(続く)
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