第11回「松尾」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
松尾村は相模川の河口近くの村でした。江戸時代に村は徳川幕府の直轄地(天領)になりました。その後、1762(宝暦12)年に旗本の岡部小左衛門忠政の領地となりました。茅ヶ崎村が天領に編入されたため、松尾村に領地替えさせられたのです。その後、明治維新を迎えるまで村は岡部家が支配しました。
浜見平団地になった小出川に沿う地域はかつて低湿地の水田で、水害と逆流する海水に苦しめられていました。関東大震災で川の河口付近の土地が隆起し流れが細くなりましたが、昭和の半ばまで川の辺に生えていたヨシを使い、よしずをつくる仕事が行われていました。その大地震は村を襲い、鎮守の神明神社の社殿も潰しました。境内に建っている「大震災記念碑」に「大きな被害を被り、まさに世も終わりかと思われたが、神社の加護と村民の努力によって社殿を建て直すことができた。特に青年たちは参道の敷石を奉納して人々の崇敬を集めたので、記念として碑を建て、後の世に伝える」とあります。碑の隣りに厄神大神の塔があります。市内では下町屋の神明神社とここだけにある珍しいもので、浜川神社(東京都品川区)の信仰に基づくものと考えられます。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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