第20回「行谷(なめがや)」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
行谷は、北部に広がる高座丘陵に位置し、江戸時代に行谷村、芹沢村、下寺尾村、堤村がつくられました。行谷村は西に向かって開いた谷戸の中にありました。『新編相模国風土記稿』には、1841(天保12)年に「戸数二十三」とあります。村は東西に長く、大島、長久保、広町の小字があります。大島には縄文時代後期の貝塚が発見された行谷遺跡があります。シジミ、ハマグリ、カキや堀之内式、加曽利B式土器などが出土しました。
戦国時代には、後北条氏の家臣の行谷藤五郎という武士が村を支配しました。
鎮守は、金山神社です。1910(明治43)年に下寺尾村鎮守の諏訪神社とともに堤村鎮守の諏訪神社に合祀され、その後再び分けられ、現在の姿になりました。参道入口に庚申塔が5基あります。1655(承応4)年の塔には、2匹の猿を従えた4本腕の青面金剛が現れる初期のものとして有名です。同型のものが甘沼と十間坂にあり、共に県指定の有形民俗文化財です。鳥居には「1826(文政9)年秋8月」の銘があり、市内にある鳥居の中で最も古い年号です。関東大震災で倒れたものを1929(昭和4)年に再建したとも彫ってあります。
【参考文献/茅ヶ崎市史1】
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