第29回 道編 「小出に通じる道」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
市北部の丘陵地を小出地区と呼びます。江戸時代の芹沢、堤、下寺尾、行谷、遠藤の5村が1889(明治22)年に合併し「小出村」となり、1955(昭和30)年まで存在した自治体でした。
小出小学校付近を二本松といいます。ここに役場が設けられ、やがて小学校や駐在所、郵便局が建ち、村の中心となっていきました。村ができた頃、村人たちは日常の買い物などは藤沢方面に出ていましたが、1898(明治31)年に茅ヶ崎駅ができてから、道のりが近い茅ヶ崎方面へ行く人も増えました。小出から茅ヶ崎に出るには、【二本松から甘沼・玉林寺わきの坂道を下る道】【堤・浄見寺横から甘沼・成就院わきに出る道】【下寺尾から香川を抜ける道】がありました。
大正時代末に本村に住んでいた小出小校長の石井梅吉さんは、自転車で玉林寺わきの坂道を越えるのがとても大変だったそうです。その頃の様子が『廣瀬善治翁略年譜』に「二本松より、曲がり曲がった急坂道、上るには一汗絞り、一応平らのところを出て、長谷(ながやと)より玉林寺坂にかかり、雨水に流されわずかの距離がウナギのウロのようなたんぼ道を通って茅ヶ崎駅へ」と記されています。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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