茅ヶ崎市文化資料館 おうちでミュージアム -連載vol.22(最終回)-
歌川広重『東海道五十三対 平塚』
相模川の下流付近は、少なくとも南北朝時代頃から「馬入川」と呼ばれることもありました。その名の由来は鎌倉時代まで遡るとする伝承があります。
建久9(1198)年の暮れ、相模川に新造された橋の落成供養が行われました。この橋は、鎌倉幕府の御家人・稲毛重成が亡き妻の供養のために架けたものでした。重成の妻は、鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝の妻・北条政子の妹。この式典に頼朝も参加しました。
この場面について記述する浮世絵、歌川広重『東海道五十三対 平塚』には、「このとき川面に悪霊が現れて黒い雲が舞い降り、雷鳴が轟いた。頼朝公の乗っていた馬は驚いて水中へ飛び込み、そのまま死んでしまった。だから馬入川と呼ぶのだと俗説では言い伝えられている」とあります。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも、橋の落成供養の帰路、頼朝が落馬してほどなく没したとする記述があります。
市内下町屋の国指定史跡・天然記念物『旧相模川橋脚』は、このときの橋脚遺構であると考証されています。
まさしく現在放送中のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代、皆さんも身近にある歴史の足跡を訪ねてみませんか。
|
<PR>