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小田原・箱根・湯河原・真鶴 文化

公開日:2014.09.20

戦争の印 今に伝える
久野の”爆弾神社”

  • 横たわる朽ちた魚雷

 市内久野の神山(こうやま)神社境内には4mほどの爆弾が横たわっている。地域の人からは『爆弾神社』と呼ばれ、「小さな頃にはまたがって遊んでいた」など思い出を語る人も多い。なぜ、このような物騒なものが神社に飾られているのだろうか。



 穐山(あきやま)光鑑(みつのり)宮司に話を聞くと、これは『45センチ魚雷』というもので、スクリューがついている。防衛省防衛研究所戦史研究センターに残る、当時の海軍省の大臣が書いたとされる公文書には「1927(昭和2)年9月8日に、廃兵器の45cm魚雷と徹甲弾2個を横須賀鎮守府が神山神社に下付する」と記してある。下付された理由について穐山宮司は「当時、久野に海軍の偉い人がいたのでは」と推測する。



 境内には以前、下付されたもう一つの爆弾(徹甲弾)が横たわっていたが、「火薬が入っていたため、戦後に信管除去のため自衛隊が持っていたまま」なのだという。



 穐山宮司は「二度と戦争が無いよう、こんなもので実際に戦っていた、とじかに触れて戦争を知るきっかけになれば」と思いを寄せた。

 

戦後70年 語り継ぐ戦争の記憶

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