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小田原・箱根・湯河原・真鶴 社会

公開日:2014.12.06

洗うのは身体と心
市内最後の銭湯「中嶋湯」

  • 二人三脚で中嶋湯を支えてきた加藤夫妻

  • 男風呂の壁画は定番の富士山

 神奈川県公衆浴場生活衛生同業組合によると、県内の銭湯は1962年の808軒をピークに減少の一途をたどり、現在は187軒。小田原も例外でなく、現存するのは中町の中嶋湯のみとなった。加藤寛さん(80)・ハル子さん(78)が切り盛りしてきた店は今月、創業80年を迎えた。







 「本当は風呂屋をやりたくなかった」――。大学卒業後まもなく、父・友助さんに懇願された店の継承。折しも時代は戦後復興期で店も賑わい、還暦を過ぎた父の願いとあっては断る訳にもいかず、寛さんは渋々二代目の道を歩み始めた。 「商売は表方と裏方がいて、初めてうまくいく」。焚き付けは寛さん、番台はハル子さんの担当。開店は午後3時半だが、準備は朝早くに始まり、閉店後に掃除を終えて一息つけるのは深夜近く。夕食はだんらんを楽しむことなく交互にとり、「市民の生活衛生を守る」という責任感から、連休は一切なし。そんな生活が60年近く続く。「家族旅行ができなかったのは、子どもたちがかわいそうだったな」



 一般家庭の内風呂普及率が向上し、加えて、スーパー銭湯や温浴施設のあるスポーツジムの台頭、燃料費高騰など銭湯には逆風の時代が続く。廃業する銭湯が全国的に相次ぐなか、中嶋湯の客数も最盛期の3分の2程に減少した。



 衰えぬ気力とうらはらに、過酷な肉体労働に悲鳴をあげる身体。だが、体調不良で休めば、すかさず常連客たちから励ましの声が届く。「やめたら行く所がなくなる。連休くらい我慢するから頑張ってよ、って」



 80年前からほぼ変わらぬ店の佇まい。随所に昭和の面影を色濃く残す中嶋湯は、利用者にとって心もリフレッシュできる場。客の悩み相談役も務めるハル子さんは、「番台から多くの人生を見つめてきた。人間って裸になると素直になれるもの」と目を細める。



 中嶋湯と駆け抜けた寛さんの半生。「この年齢になったら金儲けではない。大勢の人に支えてもらってきたから、大勢の人を支えていかないと」。廃油や廃材を安く譲りうけるなど、経営努力で歩み続ける。

 

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