「多くの偶然が結んだご縁」
本堂の建て替えが進む龍源院(吉村龍三住職/入谷)で使用されていた須弥壇(しゅみだん)と天蓋が、東日本大震災の津波で全壊した石巻市雄勝町の寺院に寄進された。江戸時代に作られたと推定され、長年にわたり龍源院の本尊を支えていた須弥壇は今、復興が進む寺院の仮本堂で新たな役目を果たしている。
老朽化した本堂の建て替えが進められる龍源院。新本堂では現在よりも大きな須弥壇を入れたため、以前使用していた物の引き取り手を探していたという。
「須弥壇」とは、本尊を祀るための台座。龍源院で使用されていたものは漆塗りの木製品で、1700年代に作られた物だと推定されている。
「長年ともにしてきた大切な仏具。捨てるのは簡単だが、何とか継続して使ってもらえる方法はないだろうか」。檀家からの要望もあり、吉村住職が東日本大震災の被災地を中心に寄進先を探していると、海蔵庵(石巻市尾崎)の佐竹泰生住職が協力を申し出た。
未だ爪痕のこる
相模原市内の寺院で佐竹住職が手伝いをしていたことから、以前より親交があった両寺。早速、海蔵庵の本寺で、津波の被害を受けた天雄寺(野々村大顕住職/石巻市雄勝町)に寄進を打診すると、「大変ありがたいお話。是非お願いしたい」と回答があったという。
天雄寺は宮城県東部に位置し、500年以上の歴史を持つ。海岸から同寺まではわずか300mほどで、東日本大震災では本堂や住職の住まいなどが津波にのまれて全壊。95%の檀家が被災し、うち140人以上が命を落とした。
同寺の本尊は、自衛隊による捜索活動中に瓦礫の中から発見されたが、須弥壇が流されたため、これまでは木を組んだ仮設の壇の上に祀られていた。檀家の多くが甚大な被害を受けた上に、移住者も多く出たことから同寺の復興は難航しているが、2013年4月には米国の慈善団体らの支援により仮本堂が完成。震災から4年半がたつ現在も、少しずつ復興を進めている。
宮大工らが現地に運搬
仏具は大人が10人ほど集まってようやく持ち上げられるほどの重さ。400Km離れた現地までの運搬方法を吉村住職が模索していると、新本堂の建築を担当していた寺社建築会社「鵤(いかるが)工舎」(栃木県塩谷郡)が、その役を買って出た。「宮大工さんが宮城県の松島にも現場があるから、ついでに持っていくよ、といって下さった。様々な方のご縁とご協力によって実現した寄進。皆さんのお気持ちに、宗派の垣根を越えた信仰心を感じました」と吉村住職は語っている。
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