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青葉区

公開日:2012.11.15

今昔、46年の軌跡
「開発後も緑ゆたかな街に」

  • (上)現在の駅前、団地とビルがそびえる (下)1966年の開通当時、つつじヶ丘の住宅街まで望むことができる(写真提供・藤本静江さん)

 1966年(昭和41年)の田園都市線開通から46年。今や商業ビルや大型団地が立ち並び、成熟した街の印象の青葉台駅周辺だが、かつては住む人も少ない山間の小さな農村だった。



 古くは「都筑郡恩田村」といい、その後、田奈村大字恩田を経て、1939年に恩田町と名前を変えた。 1960年、駅名として申請した際の仮称は、「成合」。国道246号線沿いには、今もなお、「恩田成合」のバス停が設けられているが、その地名にちなんだものだとされている。



 1965年、「開発後も緑の豊富な街作りを」との考えから、駅名が「青葉台」に正式決定。その後、67年に地元要望により地名も青葉台と変更された。高度経済成長とともに3商店会が環状4号線沿いにそのエリアを広げ、商業的にも急激な発展を遂げていった。現在の1日平均乗降人員は、区内単駅では最多の10万8857人(2011年度)。主要駅へと成長を遂げた。

 

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