千草台の杉山神社の一角に、2つの石碑が佇んでいる。一つは日清・日露戦争の忠魂碑、もう一つは太平洋戦争の慰霊碑だ。青葉区戦没者遺族会中里地区では毎年8月15日、この石碑の前で慰霊祭を行っている。
慰霊碑には、上谷本町や成合町など当時の地区ごとに戦没者の名前が刻まれている。復員した人たちが中心となり、1960年8月15日に建立したものだ。「この辺りの人たちの名前がある。皆先輩だから、よく知っている」と同地区の代表を務める石原博さん(88)。子ども4人を残していった人、身重の妻を置いて召集された人もいた。「家庭のことは関係なしだから。令状が来れば2〜3日で出発していた」。戦後すぐには戦死者の情報も入って来ず、自身の兄の戦死公報を受け取ったのも終戦後の1949年のことだったという。
「兄の事はずっと頭に」
石原さんは終戦当時16歳。6つ上の兄は22歳で召集され、フィリピンのルソン島で散ったと聞いている。山の中で亡くなったというが、事実かどうかもわからない。「兄のことは今もずっと頭の中にある」。現地を訪れ、その足跡をたどったこともある。
戦後72年、年齢を重ねて思うのは平和への願い。「国際社会の時代。互いに手をつなぎ、仲よく平和でいることが大事」。祈りを込め、今年も終戦の日を迎える。
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