平昌冬季五輪のフリースタイルスキー男子モーグルで銅メダルを獲得した原大智選手。日本勢で初のメダルを手にし、日本人選手を勢いづけた。その伯父にあたるのが、美しが丘西在住の原徳保(のりやす)さんだ。徳保さんに、大智選手の幼少期や、帰国後に対面した際の様子を語ってもらった。
幼少期の大智選手
大智選手は渋谷区在住の21歳。徳保さんの弟が大智選手の父にあたる。いとことなる徳保さんの息子が大智選手と同学年だったこともあり、以前から頻繁に両家族で旅行や日帰りでのレジャーを楽しんでいたという。徳保さんによると、大智選手が本格的に五輪を目指し始めたのは小学校の高学年のころ。もともと徳保さん兄弟がスキーを趣味としていたことから、家族ぐるみでよく滑りに行っていたそう。徳保さんは「スピードを出して急斜面を滑るのが好きなようでしたね」と大智選手を語る。「息子と写っている写真=左下=がありますが、これくらいの時期から本格的にやっていたと思います」
「普段は物静かでしたが、負けず嫌いな子どもでした」と徳保さん。当時遊びに行った海で、息子と大智選手がビーチフラッグスをしていたエピソードを語ってくれた。「同級生と言っても4月生まれの息子と3月生まれの大智。体格の差もあり、最初は息子に負けていました。ですが大智は繰り返し戦いを仕掛け、最終的に勝っていましたね」
平昌冬季五輪で大智選手の下馬評は高くなかったが、身内として大智選手を応援し、テレビにかじりついて見守っていたそう。銅メダルが決まった瞬間、「みんなで大笑いしました。とったーなんて言いながら」と話し、「メダルをとれただけでもすごいこと」と誇らしげに語ってくれた。
五輪後には墓参り
五輪閉会式が行われた2月25日、大智選手は区内にある徳保さん宅を訪れた。祖父母の眠る墓への報告も兼ねていたと徳保さん。甥の様子は「飄々と、いつも通り」だったそうで、大智選手の好きな寿司を頼み両家族で活躍をねぎらった。徳保さんは「ケガなく、自分の思い通りに楽しんでほしい。過度な期待はしない、あいつもそれを望んでいるだろうから」と微笑んだ。
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