昨年12月13日に亡くなった工藤建設(株)=新石川=の創業者、工藤五三(ゆきみつ)相談役(享年84歳)のお別れの会が3月1日、港北区のソシア21で営まれた。当日は親交のあった約2500人が献花に訪れ、人懐っこい五三さんの人柄を偲んでいた。
現在は総合建設業、建物総合管理業、不動産業、介護事業までを手掛ける同社だが、元々は五三さんが1人で1966年に設立した工藤浄水工業所が前身。以来、先見性と決断力を武器にオイルショックやバブル崩壊などを乗り越え、97年には東証二部に上場。横浜を代表する企業にまで育て上げた。「人々の暮らしを快適に、社会に必要とされる企業へ」。この五三さんの思いは、同社に今もなお息づいている。
一方、企業経営だけではなく、生まれ育った地元を愛し、緑法人会の会長や青葉火災予防協会の会長など公職も歴任。親交のあった前青葉区長の小池恭一さんは「常に『青葉区で困ったことがあったら助けてやるから』と言ってくれた」と回顧。「地元愛と人間愛があった。尊敬している」と残念がった。
偲ぶ声多く
仏教詩人・坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」の言葉を愛し、率先垂範の人だった五三さん。お別れの会には花を手向けようと多数が来場した。
元県議会議員の三好吉清さんは五三さんの印象を「腕白坊主みたいだった」と話し、「友人として50年以上になる。寂しい」と言葉少なに語った。また、鴨志田町の金子工業(株)相談役で、海外に一緒に行くなど付き合いの深かった金子寿彦さんは「突っ込んでいく行動力がすごかった。仕事でも遊びでも生き方でも常に目標だった」と話し、「友達でも兄弟でもない、競争相手だった。2カ月以上経つが、今が一番苦しい」と無念そうに語った。
お別れの会の実行委員長を務めた工藤英司代表取締役は「忙しい中、多くの方にお別れに来て頂いた。今後も故人の遺志を継ぎ、社業に専念していきます」と、感謝の気持ちを語っていた。
【取材後記】2016年に五三さんが金時山1000回登頂を達成し、その祝賀パーティーの席で初めて取材して以来、何度となく記者に声をかけて頂いた。山内中70周年の時には開校当時を知る五三さんから「自分たちが体育の時間にグラウンドを作ったんだ」と苦労話を聞き、そのグラウンドで練習する現役生の活躍に目を細めていた。
「まだ人に伝えたいことがある」と、弊紙で寄稿を連載する計画もあった。題名は「人生謳歌!」。五三さんらしい言葉だった。
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