野球殿堂博物館は1月18日、今年の野球殿堂顕彰者5人を発表した。その中に大豆戸町在住の山中正竹さん(68)がいる。法政大学在学中ピッチャーとして活躍、東京6大学野球で未だ抜かれていない最多48勝の記録を保持しているほか、バルセロナ五輪の日本代表監督も務めた輝かしい経歴を持つ。こうした点が評価され、今回の殿堂入りとなった。
野球殿堂は1959年、日本野球貢献者を顕彰するために創設。現役引退のプロ野球選手などを対象とする「競技者表彰」と現役引退のアマチュア野球競技者などを対象とする「特別表彰」から成る。今年は「特別」の山中さんのほか、巨人のエースだった斎藤雅樹さん、西武などで活躍した工藤公康さんなど、そうそうたる顔ぶれが選出された。
ピッチングを科学
山中さんは大分県出身。小学校から野球チームに所属した。2つ上の幼馴染にプロ野球で活躍した高橋直樹さんがいる。「いつも目標の人でした」。地元の高校で投打の中心選手として活躍後、66年に法政大学に進学。野球部には1年先輩に田淵幸一さんや山本浩二さん、同級生には突出した選手だった江本孟紀さんもいた。
こうした一流選手に囲まれた山中さんは身長168cm。恵まれた体格ではなかったが、1年生からエースとして活躍。その理由は、コントロールの正確性とカーブの切れ味にあった。「フルスイングさせない方法を常に考えていた。バッターが予測していないボールを投げること。ピッチングを科学していた」と話す。他者を勝る練習量と試行錯誤を繰り返しながら、6大学野球リーグ記録の通算48勝を獲得する。この記録は未だ破られておらず、47勝まで迫ったのが、あの江川卓さんだ。
監督と選手の信頼重視
山中さんは大学卒業後、プロからの誘いを断り、社会人野球の道を選ぶ。「企業人になりたかったんです」。住友金属に入社し、30歳で現役を引退。34歳までは社業に集中したが、懇願され、81年から84年まで同社野球部の監督を務めた。ここから山中さんの”第2の野球人生”の幕開けといえる監督業が始まる。都市対抗で優勝、日本選手権を連覇させる手腕を見せたほか、92年のバルセロナ五輪では日本代表監督となり、銅メダルに導く。94年からは法政大学の野球部監督となり、就任9年間で7回6大学リーグで優勝させている。現在は、全日本野球協会の理事を務める。
山中さんは「とびっきりの負けず嫌いの性格のおかげで今の私がある。学生時代の48勝だけでは、野球殿堂入りはなかった。監督として選手と信頼を結べ、結果を残したことが誇り。野球は無限の可能性を秘めており、今後もさらに追及していきたい」と語った。
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