大正末期から昭和の北山田から 第1回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
遥かなる道(はじめに)
振り返れば遠い道程だが、前を見れば明日が見えない。
未来を想像して息のある限り生きねばならない。
われわれの年代ほど、波澗万丈の世を経験してきた者はないであろう。青少年期は大日本帝国、無敗を誇る軍隊を信じていた。
昭和二十年八月十五日を境に、敗戦国に転落。
食糧もなく、情報は大混乱し、貧困のどん底の生活を経験し、新生日本を旗印に復員兵を中心に団結、あらゆる事を模索、実行し、豊かな農村を築いた。
四十年代になり、港北ニュータウンの嵐が吹き荒れ、故郷は一変した。
蛍の小堀、鰻、カタッケ(貝の一種)、モクタ蟹のすみかの小川、タンポポ、ツクシの土手、四季折々衣替えする雑木林、肥えた田圃、豊かな畑、竹林、お互い助け合う人情も、地下に消えた。
第二の故郷を作るため、思考錯誤しているが、時間がたてば、人情豊かな街に必ずなると信じている。環境の良い街は人情のある街であり、実現しなければ、土地を犠牲にして開発に踏み切った者として先祖に申し訳ない。
思い出してはキーを叩いたので、話が前後してまとまりがない。
遠く遥かな人生だが、故郷と歩んだ足跡を一部残す。
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