大正末期〜昭和の北山田から 第26回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
山田富士の赤松、皇居へ
昭和13年頃だったか、山田富士の頂上付近にあった樹形の良い大きな赤松が皇居の広場に移植された。陸軍の観兵式の時、天皇陛下が閲兵をうけられる観閲台後方のバックの松として植えられました。現在もあるそうで、一度訪ねたいと思いますが、当時の人は誰もおりませんので、なかなかわかりません。
移植する前年、根回しをし、大麦を堀った穴に埋め戻し、翌年、移植にかかりました。
頂上から道まで降ろすのは大変でした。途中の桜の木は邪魔になるのは全部切られ、かぐらさんという道具で時間をかけて降ろし、車に積むのに今のように機械はなく、全部、人夫の機敏な動作で積まれました。
作業中も天皇陛下の背景の松というので駐在の警官が立ち会い、車には松の根株に宮内庁御用と書かれた看板が立てられ、道中、松が通るのに邪魔になる枝、電線は天皇の松が通るというので問答無用で切られ、今のバス通りを荏田にぬけ、二四六(大山街道)を溝の口を経て、二子橋を渡り、皇居まで運ばれたと聞きます。
地元は大変でした。役員が出発の時、松を見送っておりました。
今でも頂上から降ろす途中の桜が小さいのはその後植えられたためです。
青年会も皇居前に整地作業に奉仕されました。
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