都筑区 コラム
公開日:2019.08.29
大正末期〜昭和の北山田から 第31回
都筑区の歴史を紐解く
文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
学校に戦車隊
そうこうしているうちに、小学校の兵舎は関東軍の戦車隊に交代した。満州から本土防衛に引き上げてきた、これは優秀な軍隊であった。歳をきいたら、まだ十七歳の少年戦車兵も多く含まれていた。後から送られてくる戦車を格納するため、山の北側に戦車壕を地元も手伝って数知れず掘った。
中川小学校前の早渕川ぞいの山根に、茅ヶ崎方面まで戦車が一台入る大きさに堀り、壕内は杉、松を伐採し、頑丈に組み立てた。
もちろん国のためというので山主にはかまわず資材は調達できた。戦車服が破れても縫う糸もなく、ボロボロの姿で働く少年兵の生真面目な顔が忘れられない。
昼食時、私どもは農家なので多少食糧には余裕があった。弁当箱に箸をつけようとすると、少年兵たちは食べ終わっている。それもそのはず、彼らには、飯ごうの蓋一杯の雑炊きりない。食べ盛りの兵隊はかわいそうだった。弁当を分けて上げようとすると、上官の監視が厳しく、「ハッ、けっこうであります」とひもじさをたえ、辞退する目に、国のためとはいえ、あわれさを感じた。
作業後、兵隊は明日の仕事準備のため、山へモッコを作る材料として藤蔓(ふじづる)を取りに、夕暮れまで仕事をしていた。
そのかいもなく、戦車は一台も来なかった。朝鮮海峡を渡る時、撃沈されてしまったと聞く。
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