大正末期〜昭和の北山田から 第32回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全冨雄(『望郷』から引用)
松根油堀り
十九年頃になるとガソリンはほとんどなくなった。松の根を掘りおこし、燃やし油を取る作業が動員されて行われた。
ガソリンは血の一滴の合い言葉で、大きな根を堀り、牛車に積むのが大騒ぎ、重いのでテコを頼りに積むが、一日かかったこともある。今はユニックがあるので簡単だが、能率は悪かった。
でも、特攻隊が使うガソリンもないというので、夢中で堀った。たしか一日作業しても、五升はとれなかったと思う。
勝田橋手前百メートル山田よりの左側に、陸軍松根油隊がおり、大棚公民館西側に海軍松根油隊があったが、間にあわなかったと思う。
青年学校の靖国神社参拝
青年学校全生徒が女性徒を含めて、歩きで九段に参拝した。
男子は制服で一年は徒手、二年は模擬銃、三年は牛蒡剣と銃、四年は完全武装、女子は黒のモンペに黒の上着、学校から川崎宮前を通り、溝の口、二子橋、渋谷をへて皇居、靖国神社、明治神宮を参拝して帰路に着く。
ところが二子橋まで帰ってくると、夜学に間に合わぬことになり、男子のみ全員駆け足の号令がかかり、学校まで駈け続けた。幸い私はマラソンが得意だったので、苦労には思わなかった。
だんだんと夜学も、勉強の時間に銃剣術が入り、訓練が日増しに多くなった。
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