コラム「学校と社会をつなぎ直す」【3】 「外化(がいか)」としてのアクティブラーニング 桐蔭学園理事長 溝上慎一
連載【1】【2】で述べたように、コミュニケーションの弱い人は、個の力(知識や思考力)が高くても、良い大学を卒業しても、就職活動・職場で苦労している。資質・能力を育てるためには「外化」が必要である。外化とは書く・話す・発表する等の活動を通して、自身の考えや理解をアウトプットすることだ。アクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びはここに関係してくる。
野球で外化を例えるなら、子どもが理屈ではなく、まずはボールを投げてみることに似ている。指導者なら2〜3球ボールを投げるところを見れば、子どもがこれまで野球をしてきたのか、1つ上のレベルに上げるためにどのような練習をすればいいかがすぐわかる。学校での学習も同じで、外化させると、子どもの理解や思考がどの程度のものかすぐにわかる。そこから指導メニューを考えられる。
新学習指導要領の実施に向けて、全国の学校で「活動あって学びなし」と揶揄されるおしゃべりに近いアクティブラーニングへの批判が出ている。そんな活動を行うくらいなら、これまでの講義中心の授業の方がましだという学校や教師の理屈である。しかし、これはそんなアクティブラーニングしかできない教師の力量の低さを全国レベルで露呈させたこととも言われる。ボールを投げさせることなく、子どもの能力を育てることなどあり得ない。次回は、この外化に他者や協働を加えて引き続き論じよう。
|
<PR>
|
|
|
|
|
|