都筑区 コラム
公開日:2020.07.30
大正末期〜昭和の北山田から 第46回
都筑区の歴史を紐解く
文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
青年学校の武装解除
終戦、そして米軍の進駐と、今まで遭遇したことのないことの連続であった。
ある日学校から連絡があり、所持している銃器は模擬銃でも全部学校に変換するように、部落の生徒に徹底するよう通知があり、指定された日に持ち寄った。
昼間は持ち歩けない、見つかれば進駐軍に撃たれるというので夜間出かけたが、途中、南山田に出たとたんに、自動車がヘッドライトを照らし勝田方面より走ってきた。当時、自動車はほとんどなく、車と見れば、米軍と思い、土手下の草むらに飛び降り、隠れながらようやく学校にたどり着いた。
学校には駐在のお巡りさんが立ち会いにきていた。特に実弾が撃てる三八式歩兵銃の五挺と、終戦まぎわ本土決戦に備え二挺の新型歩兵銃が軍から支給されていたが、その七挺がとりあげられ、その他は焼却処分することになった。が、半分も集まらなかった。
集めた銃器はまだ事態が変わらぬかもしれないと、防具、銃、剣、薬莢、背嚢を清林寺の本堂の縁の下に隠した。しかしそれから幾月かたって本堂の下に入ってみたら、何もなかった。関係者に聞いてもわからず、いまだに不思議な結末であった。
戦後、籠作りの講習を青年会で実施した時、銃剣を竹裂きに使用している者がかなりあった。ニュータウンで家屋の解体作業を請け負った時、錆びた青年学校の模擬銃が出てきて、青春の墓標を見た思いであった。
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