大正末期〜昭和の北山田から 第47回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
復員
終戦間もなく、中川小学校前を復員する兵士が通ると、学校には血気盛んな戦車隊がまだ頑張っていて、まだ帰るのは早い現隊へ戻れと憤慨していた。
ちょうどその頃、私宅に長野県に大本陣を構築していた陸軍の下士官が、軍刀を持ち、顔中髭で埋まり、敗戦の無念さを態度に表しながら、父に「先輩、負けても残念に思わんか。我々は長野の大本営に天皇陛下を擁して戦う。断じて降伏はできん。先輩はどう思うか。関東軍や我々が決起すれば、民衆は立ち上がる気があるだろうか」と、目は血走り、もの凄い形相でつめよってきた。
たしか二十三歳くらいだった血気盛んな青年下士官の彼には、無理からぬことだった。父は青年学校の軍事訓練指導員主任であったため、相談にきたのであった。
彼の落ち着くのを待って父が、「降伏は天皇の命令である。貴方は天皇陛下の命により軍人として奉公してきた。天皇は忍びがたきを忍び、耐え難きを耐え、新しい日本を造ってくれと言っているではないか。俺もつらい。教え子が戦死をし、お前より俺もどうしてよいか迷ったが、今は戦争を続ければ国も民族も亡くなる。戦死した若者が、それで喜ぶか。国をつぶしては、英霊が帰る国もない。死んだ兵士は家族の安泰を願い散った。死んで守った国を再建するのが、生き残った貴方のこれからの道であり、天皇の命に従うのが軍人の使命だ」と話し合い、現隊に帰り早く復員するように説得、ようやく帰って行った。長い時間だった。
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