大正末期〜昭和の北山田から 第53回 都筑区の歴史を紐解く 文・絵 男全(おまた)冨雄(『望郷』から引用)
ニュータウン【2】
農家には、必ず大きな柿の古木があります。先祖はどんなに貧乏しても、また凶作に見舞われても、柿は必ず実をつけてくれるので、家を建てる時は柿の木を植えたのだと、祖父から聞かされました。子孫繁栄を願った先代の生活の知恵と、尊敬の目で見ていた柿の木を伐採しなければならない地権利者の思いは、当事者でなければ分からぬ思いです。何代もお世話になった苔むした古井戸もそうです。井戸神様と敬って生活してきた井戸を埋める時、神主を頼んでお払いをし、井戸に感謝し、井戸の深さに節を抜いた竹筒を空気抜けとして静かに入れて埋めた。生きる水を与えてくれた井戸を埋めるのは、一番いやだった。
お墓の発掘は、隣近所お互いに手伝いながら、寺の住職にお墓の閉眼式をお願いしてから作業にかかった。最初は頭骸骨の掃除は抵抗があったが、続けているうちに先祖に対して「静かに眠っているのに、御免なさい」と、丁重に取り扱う余裕がでてきた。発掘した骸骨を棺箱に入れて火葬し、換地によって新しく出来た墓地に骨壺を納め、住職の開眼式の読経でようやく墓地移転は終わった。
なにせ、何代と暮らしてきた部落全員の移転は、移転補償の低価から農民の抵抗も一部あったが、そろって移転出来たことは整然としたニュータウンの大きな要因となった。
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